今日は久しぶりに晴れました。
2022/07/20
「時の長さが、危機の深刻さを表しています。「1000年に1度の雨」。日本はいま洪水ハザードマップの改修を進めています。これまでは最大でも「200年に1度の雨」だった想定を切り替えて。歴史を1000年さかのぼれば、武家政治よりも前の平安時代に。その間の移り変わりを思えば、切迫する事態の重さもまた実感できるか。1000年に1回しか起きない雨ではなく、いまやどこでも起きる可能性があることも。猛烈な雨にみまわれている列島。河川の氾濫や浸水、土砂崩れ。周りの状況を確認しながら、危険がさしせまる前に安全を確保するよう呼びかけられています。新たなハザードマップでは浸水ノリスクの高い地域で人口が増えていると警戒を促します。一方で本紙特派員が伝えるように、欧州をはじめ世界各地を異常高温や熱波、山火事や干ばつが襲っています。連日の40度超えや大規模な森林火災、穀物への被害・・・。まさに命が危険にさらされています。気候変動に伴う異常気象によって、過去20年間に受けた損害は年平均で少なくとも66億ユーロ(約9300億円)に上る。ドイツではこんな試算が示されました。数量化できない問題もあり、実際の損害はもっと大きいと。山火事が相次ぐスペインではサンチェス首相が「気候変動が人の命を脅かすことは明らかだ」として「われわれの社会の最も貴重な財産が影響を受けている」と訴えました。時を重ね築いてきた人類の営み。その先は私たちの手の中にあります。」(20日付しんぶん赤旗「潮流」より)今から38年前に、大阪から移住して来た頃の安曇川は、真夏でも最高気温が30℃を超える日は10日間あるかどうかでした。夕刻になると涼しい風が吹き、寒く感じられることもありました。当時の我が家ではエアコンが1台もなく、それが5年ほど続きました。ある年を境に、「今年は暑いなあ」と感じてからは、1台、また1台とエアコンを設置しました。いまやエアコンは必需品となり、あの頃を懐かしんでいます。さて、ここ1週間は雨に見舞われましたが、今日は晴れて気温が上がりそうです。「写真は、久しぶりに訪れた四津川地区の三和漁港の景色です」
昨夜の雷雨はすごかった。
2022/07/17
「岸田首相が安倍元首相の「国葬」を行うとの記者会見を聞いて、真っ先に思い浮かべた映画があります。旧ソ連の独裁者、スターリン国葬の記録です。「ここに死なない。あるのは永遠の生だ」スターリン礼賛のアナウンスが流れ、弔砲が一斉に鳴り響く。スターリンの亡骸(なきがら)を一目見ようと、延々と続く行列。セルゲイ・ロズニァ監督の「国葬」(2019年)には異様な姿が映し出されていました。一方、日本では戦後、国葬令が禁止に。唯一の例外は、1967年の吉田茂元首相。安倍氏の国葬は、それ以来となります。なぜ国葬か。岸田首相は「そのご功績は誠にすばらしいものがある」と説明します。国会の118回もの虚偽答弁、”モリカケ桜”など国政私物化疑惑の数々。それらも「すばらしいご功績」なのか。ツイッターでは「#国葬反対」「#安倍晋三の国葬に反対します」がトレンドワードに。TBSラジオ「森本猛朗スタンバイ!」(15日放送)では「リスナーの95%が反対」と。民主主義は生きている、とホッとします。銃撃で人命を奪うことは到底許されません。同時に、安倍氏を美化し弔意を強制することも、あってはならないことです。17年の東京都議選で彼が反対派の人たちを「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と敵視したことが記憶に新しい。安倍氏の「国葬」をてこに自民党内の求心力をはかろうとする岸田首相。民主主義の破壊はテロの後、やってくる。権力の暴走を許してはなりません。」(17日付しんぶん赤旗「潮流」より)岸田首相の記者会見で「国葬」との発言があった時、自分の耳を疑いました。安倍氏が私たちに何を残してくれたのか?そんなに誇れる政治家だったろうか?むしろ庶民には冷たい対応だったのではないでしょうか?と考えています。さて、昨夜から今朝にかけて、雷が鳴り響き猛烈な雨が降りました。おかげで睡眠不足になり、眠り足りない気がします。「写真は、昨年に起きた、常盤木地区の火事の様相です」
戻り梅雨なんでしょうか?
2022/07/14
「わがまち ふるさと」「大分県・日出町」「終戦の日が近づいてきました。今年ほど「戦争か平和か」が問われる夏はありおません。別府湾を望む大分県日出(ひじ)町大神(おおが)地区。その入り江の最奥部に、人間魚雷「回天」の訓練基地跡が残っています。太平洋戦争末期、旧日本海軍が住民らを強制疎開させ、最大時で兵員2000人、回天24基を配備。約300人の「大神突撃隊が体当たりの訓練をおこなっていたといいます。今は公園として整備され、回天の実物大模型などを展示。小中学生の平和学習の場ともなり、修学旅行の大型バスも止まります。人口は2万8千人ほど。海を望む丘陵ではトマト、オレンジなどが栽培され、清水の湧く海底に生息するカレイは「城下(しろした)カレイ」として有名です。古くは江戸時代に儒学者・帆足(ほあし)万里、明治期には作曲家・滝廉太郎を輩出した町は、大分県内で「平成の大合併」に従わず、最後までその意思を貫き通した自治体の一つでもあります。高齢化が進んでいますが移住者も多く、県内「住みやすい町」ランキング1位を獲得。最近は「ハローキティとくらすまち」として観光客の誘致、若い世代の定住をアピールしています。ぜひ一度お出かけください。(安部峰子町議)」(14日付けしんぶん赤旗「地方・総合」のページより)大分県には度々訪れてはいるのですが、この町の事は知りませんでした。一度機会があれば、必ず訪れたい町の一つです。さて、梅雨が開けた途端に、ぐずついた天気が多くなりました。今週は雨マ−クの日が多く、しばらくは快晴が期待できませんね。「写真は、今年もミミズの集団自殺?が多く見られます」
闘い済んで日が暮れtて。
2022/07/11
「ほっと」
「夫の定年を機に、空き家だった広島の実家に京都から転居して3年。引っ越した当初、父母の物も何もかも捨てるのが忍びなく、衣服や布団を再利用して、父母のかかしを作り玄関脇に座らせた。道からは、老夫婦が日なたぼっこをしているように見えるらしく、大概の人がかかしと気づかずあいさつをしていかれるのが、申し訳なくも面白く楽しい。最近、母の衣服が随分色あせてきたことに気づいた。新しいブラウスと絣(かすり)のモンペに着替えさせたら、ちょっと若返った。顔も少し描き直して、ほうれい線を書き足して老けさせてみた。生きていたら90歳近い母だから、これでも随分若づくりだ。元気な時は、花や野菜を作って2人暮らしを楽しんでいた父と母。今ではかかしとなって、私たち夫婦の暮らしと世羅の自然を見守ってくれている。
(広島県世羅町 高橋 夏江 65歳)
(11日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)
これと似たような話を、テレビで放送されていて、過疎化が進む村で、亡くなった方のかかしを作っているとか。生前の姿に似ていて、思わず挨拶をされるとか。さて、参議院選も終わり、結果は与党の圧勝になりました。野党は共闘が進まず、残念な結果になりましたが「安倍元総理の襲撃事件」も影響したのでしょう。もう闘いは済んだので、嫁さんも一息入れられそうです。「写真は、雨が降る中の「朽木・てんくう温泉」の景色です」
参議院選も終盤になりました。
2022/07/08
「試写室」「石子と羽男 TBS系 午後10時〜」「法律事務所の弁護士とパラリーガル(弁護士の専門的な補助)の成長物語を通じ、日常の些細(ささい)な不都合は社会の大きな歪(ゆが)みに繋(つな)がることを、コミカルに描く。脚本・西田征史、演出・塚原あゆ子。「真面目に生きる人々を守る傘になる」がモットーの法律事務所所長(さだまさし)はそろそろ体にガタが。東大卒の娘・石田硝子=石子(有村架純)は4回も司法試験に失敗したが、弁護士倫理を守る仕事ぶりで父を支える。そこへ父が、高卒で司法試験1発合格の「できる弁護士」・羽根岡佳男=羽男(中村倫也)をスカウトする。彼は法律用語を述べ立て相手を煙(けむ)にまくが、ある状況では手が震えてしまう癖が。ある日、会社員・大庭(赤楚衛二)が、喫茶店でスマホを充電していて店長から訴えられたと相談に来るが・・・。共に弱みを持つ原則主義トエエカッコしいの2人が、お互いの足りなさを補い合いかみ合ってゆく柔軟さが心地よい。「憲法弟14条=法の下の平等」が日々の幸せを創ると石子は語る。こんなふうに柔軟に軽やかに法律や憲法を語り広める若者の姿に未来を見た思いだ。ぜひご覧あれ。(口山衣江 ライター)」(8日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)この頃は、キー局(地上波)に面白い番組が無く、ほとんど衛星放送を見ています。今夜の放送ですので、一度試しに見て見たいと思います。さて、参議院選挙も終盤になり、今日は安曇川に比例カーが来るそうで嫁さんは朝早くに出かけて行きました。滋賀県では知事選もあり情勢はなかなか厳しいものがあります。「写真は、近所でキリギリスが鳴く草むらです」
台風4号が接近中です
2022/07/05
「熊本豪雨2年 被災者らが短冊」「熊本県南部地域を中心に甚大な被害をもたらした2020年7月豪雨から2年を迎えました。球磨(くま)川や支流の氾濫で町全域が被災した同県八代(やつしろ)市坂本町では2日、犠牲者を追悼し復旧・復興を願う「七夕飾り」が披露されました。同町の住民でつくる自治協議会(蓑田陽一会長)の主催。「道の駅坂本」に8日まで展示されます。いまだに仮設暮らしを強いられる被災者ら1400人以上が短冊に「復興できますように」などの願いを込め10本の竹に飾りました。「家族の健康」を願ったという小学校6年生の男子は「川を流木や家財道具、ボートなどが次々に流されているところを見て、とても怖かった」と2年前の状況を振り返り、「避難して坂本を離れている人たちも、早く戻ってきてほしい」と話しました。球磨川に沿う国道219号は、豪雨の影響による路肩の崩落などで片側交互通行などの交通規制が続いています。」(5日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)もうあの豪雨から2年が経ったとは、時間の経過の早さをあらためて感じます。何年経っても仮設住宅から抜け出せないのは高齢者や社会的弱者です。いまだに「熊本地震」の被災者も仮設住宅に住んでいるとか。さて、「KDDI」の通信障害が60時間以上も続き、社会的な大混乱を招きました。まだその情報を知らない友人がお店に来て「私の電話がつながらないけど、どうなっているのだろう?」と言って来ました。「何かトラブルがあったみたいやで」と答えると、「困ったな。誰とも連絡が取れないよ。」とぼやいていました。電話で「参議員選」の支持拡大していた嫁さんも「あかんわ!3人に1人が連絡が取れない。」と話していました。日本の経済も脆いもので、簡単に崩壊してしまうものなのですね。ところで、今年初めての台風4号が接近中です。先ほど九州北部に上陸したとか、水不足も困りますが、大きな被害が出ないように祈るばかりです。「写真は、高島市・野田地区の田園風景です」
毎日暑い日が続きますね。
2022/07/02
「ほっと」
「5月上旬、夫は40度の高熱と悪寒、嘔吐(おうと)のため救急搬送されました。うわ言をいい、隊員の呼び掛けにも応えません。ショック状態が続き、原因不明のまま、医師からは家族に覚悟のほどが告げられました。県内外から子ともたちも駆け付けました。不安と緊張の数日間を経て、夫は一命を取り留めました。適切な医療行為と本人の生命力、皆様の励ましのおかげと感謝しています。40日間の入院中、コロナ禍のため病室の夫を見舞うことはできません。それでも、タブレット越に数分間、夫と面会することができ、家族に極上の喜びと安堵(あんど)を頂きました。もちろん夫の順調な回復につながったと信じています。私の家族同様に面会できないご家族が、身近にも大勢おられることを知りました。コロナの収束と自由に面会できる日をと祈りながら、この「タブレット面会」は本当にありがたい対応と感謝しています。」(愛知県尾張旭市 広林 幸子 81歳)
(2日付しんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)今、病院に入院すると家族でも面会が制限されているようです。私の知り合いで、緊急入院したのに死亡するまで本人に会えなかったとか。さて、毎日暑い日が続き、ご当地安曇川でも34℃に迫る日が続いています。今朝、近所を散歩すると、「キリギリス」の鳴き声が草むらから聞こえて来ました。「あ〜あ、もう夏本番なのだな」と感じてしまいました。「写真は、昨年の日暮れ時、イルカの形をした雲がありました」
梅雨が明けましたね。
2022/06/29
「アジサイは6月が最盛期。早すぎる梅雨明けでシーズンの終盤も早まりそうですが、その目の覚めるような鮮やかさには慰められます。路地のあちこちに咲く青や紫、ピンク、白のみずみずしい花房を見ると、ひととき爽やかな気持ちに。アジサイを詠んだ俳句や短歌も数多く、中でも<紫陽花や(アジサイ)「や白よりいでし浅みどり 渡辺水巴(すいは)><紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべかなかなのなく 若山牧水>などは、口ずさめば雨にぬれたアジサイの繊細な風情が立ち上がってきます。アジサイノ調査研究や普及活動をしている日本アジサイ協会(1998年発足)という団体があると知り、創設者で名誉会長の杉本誉晃(たかあき)さんに話を聞きました。アジサイは日本が原産だそうで、杉本さんんは原種であるガクアジサイを日本固有の財産として保護・保全するために、自生地の伊豆や伊豆諸島、三浦半島、房総を訪ね歩いたと言います。実はアジサイは不遇の時代が長く、戦後、観光資源として群稙されたことで人気が出たとか。「日本人は桜のようにぱっと咲いて、ぱっと散るのが好みで、さまざまな色に変えながら咲き続けるアジサイには引かれなかったのかもしれません」。近年は各地にあるアジサイ寺やアジサイ山、アジサイロードが花見客でにぎわいます。本紙文化面「今月の俳句」にこんな句も。<ばらばらのひとまとまりが紫陽花よ 鈴木光影>。互いに個性を尊重し合い変化しながら共生するー。そんな理想をアジサイに重ねてみたくなりました。」(29日付しんぶん赤旗「潮流」より)アジサイが日本が原産とは知りませんでしたが、最近はどこの家にも咲いているような気がします。さて、雨もあまり降らないまま、梅雨が明けてしまいました。この先、晴天が続くとなると水不足が深刻になりそうな気がします。「写真は、ご近所の庭に咲いたアジサイの花です」
今年は空梅雨でしょうか?
2022/06/26
「参院選の期日前投票が始まっています。投票は選挙ごとに増加傾向なのに、「点字の選挙公報はまだ届かない。前回は投票日3日前だった」。視覚障害のある山城完治さんは話します。候補者をじっくり選ぶ時間がないとの視覚障害者の声も。「障害のある人にとってもっとも近くて遠いのが、選挙・投票です」。日本障害者協議会(JD)代表の藤井克徳さんのことばです。障害者は政治と無縁ではいられません。公的支援を得てこそ生活が成り立つからです。だけど投票しょうとすると、さまざまな障害が立ちはだかる現実が。JDは事例を集め、総務省に改善を要望しました。地域の選管への要請に取り組む団体も。憲法と障害者権利条約は、障害の有無にかかわらず参政権を保障しなければならないとうたいます。障害者差別解消法は行政に対して障壁を取り除く義務を課しています。知的障害者が投票できるように活動する団体は、「知的障害者・家族・支援者のための選挙のしおり」を無料で配布します。読み書きが困難な人に投票所の係員による代理投票を知ってもらうためです。「障害のあるわが子も投票できそうだとうれしくなりました」「苦労していました。娘の選挙にそのまま使います」。知的障害のあるわが子が参政権を行使できていなかった状況に心を痛める家族から喜びの声が。「しおり」を使った学習会の計画も各地で。多くの人が不断の努力を続けています。障害者がそれぞれの願いを託して一票を投じられるように。」(26日付しんぶん赤旗「潮流」より)この問題は、私の長女の時にも話し合いがありまして、候補者名から指で指せば良いのです。長女には無理な話でしたが、これで投票に行ける障害者が増えたことは確かです。さて、梅雨入りしてから雨が降らず、今日も晴天が広がっています。時々、にわか雨が降りますがまるで真夏のような天気です。「写真は、小浜新港の違う景色です」
参議院選挙が始まりました。
2022/06/23
「戦争で人生を失った一人ひとりの生きていた証を受け継いでいきたいー。きょう沖縄「慰霊の日」を前に、「平和の礎(いしじ)」に刻まれた24万余の名前が読み上げられました。県民らでつくる実行委員が企画し、戦没者遺族など国内外から多くが参加。今月12日からオンラインも活用しながらリレー形式で続けてきました。今年新たに県内出身者27人、県外出身者28人の計55人の名が刻銘された「平和の礎」。太平洋戦争・沖縄戦の終結から77年たった今も犠牲者が現れる現実は、あの戦争がいかに激烈で、たくさんの命を奪ったかを物語っています。1995年6月23日、戦後50周年の記念事業として進められてきた「平和の礎」の除幕式典が行われました。当初は、国籍や軍人、民間人の区別なく一堂に会することに反発があったといいます。しかし当時の太田昌秀県政は沖縄から世界へ平和を発信する拠点としての意義を説き、恩しゅうをこえた画期的な礎となりました。県の平和行政にかかわった石原昌家・沖縄国際大名誉教授は、戦争につながる一切の動きと戦争を拒絶する琉球沖縄の人の、平和のこころを具体的に現したものだといいます。そして、すべての生き物の生命を慈しむ「命(ぬち)どぅ宝」という共生の思想を表出したものだと(『沖縄「平和の礎」はいかにして創られたか』高文研)いま改めて戦争か、平和か、日本の進路が問われているとき。手をたずさえて世界の平和をめざす沖縄のこころは、日本のこころでもあるはずです。」(23日付しんぶん赤旗「潮流」より)私はまだ沖縄に行ったことはありませんが、この目で、この耳で沖縄の現実を確認したいなと思います。さて、昨日から参議院選が始まりましたが、20年ぶりにポスター貼りに参加しました。ご当地滋賀県では、知事選も重なりましたので2種類のポスターを約2時間かけて頑張りました。「写真は、19日(日)の外出許可時に訪れた「小浜新港」の釣り人たちの景色です」
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