つくすくほうしが鳴いています。
2022/08/19
「いったい、あの大会はなんだったのか。オリンピックとは、スポーツとは・・・。1年が過ぎたいまも問われつづけています。余韻どころか、負の遺産や不信がぬぐえない東京五輪です。「アスリートや日本国民のためではなく、IOCや電通をはじめとする五輪貴族や特権階級のための催しではなかったか」。広告大手の元社員で『東京五輪の大罪』を著した作家の本間龍さんは、金もうけの巨大な欲望だけがあった五輪だったと指摘します。招致段階からの不祥事や疑惑の数々、ふくれあがった大会経費はコンパクトや復興、多様性と調和といったスローガンを早々と消し去りました。コロナ禍の強行で残ったものは政官財が一体となって利権にむらがる姿か。大会組織委員会の元理事がスポンサーに選ばれた企業からわいろを受け取り、見返りに便宜を図ったとして逮捕されました。五輪を私利私欲に利用する構図からうまれた汚職です。前回五輪まで十数社だったスポンサー企業は東京五輪では60社以上にのぼりました。そのすべてを取り仕切っていたのが広告最大手の電通です。罪に問われた元理事はその電通内で「スポーツビジネスのドン」と称される人物だったといいます。闇に隠された金の流れはこれだけではないでしょう。オリンピックやスポーツの価値を大きく傷つけ、巨額の公金が投入された東京五輪。その検証や責任の追及もなく、いままた30年冬季五輪の札幌招致に動いています。人びとや社会からの信頼を失いながら。」(19日付しんぶん赤旗「潮流」より)初めて東京五輪が開かれた時は、私たちが小学校5年生の時でした。あの時は、純粋に感動する場面がありましたが、今回はどうでしょうか?名もなき国の選手が金メダルを取ったり、番狂わせがどれほどあったでしょうか?オリンピックの開催国になるには巨大な資金が必要になり、これでは発展途上国に開催する事はできないでしょう。さて、8月も下旬になり、今朝近所を散歩するとセミの鳴き声が変わっていました。あのクマゼミからツクツホウシになっていて、夏の終わりを告げているようでした。「写真は、敦賀市「鞠山・海釣り公園」で釣りを楽しむ人々です」
お盆も終わりましたね。
2022/08/16
「障害のある人は優性保護法下でかって、不妊手術を強制されました。その数約2万5000人。たまたま障害を持って生まれたために、生涯にわたる苦しみを味わされるような人権侵害を受けたのです。「優性上の見地から不良な子孫の出生を防止する」。同法のこの目的は1996年に法が廃止されてもなお、社会や私たちの意識に大きな影を落としています。障害のある女性が結婚、妊娠・出産、子育てをするには多くの困難があります。優性思想に裏打ちされた根深い障害者差別があるからです。結婚式の招待状を未開封のまま返された。2人目の出産前に不妊手術を勧められた。「子どもに熱が出たらどうするの?」と自身でケアできないことを責められる・・・。医療従事者や自治体職員など専門職に就く人の中に優性思想が潜んでいることも。障害者の生と生殖に関する健康と権利を無意識のうちに認めないような対応を取ることがあります。強制不妊手術の被害者は裁判で、障害者差別の解決を求めてたたかっています。弁護団に加わる藤原精吾弁護士は「障害があることでその人の評価を下げるのは、資本主義社会特有のことではないか」と問いかけます。生産性に価値を置く資本主義を乗り越えて、優性思想を克服するー。私たちには不断の努力を続けることが求められます。脳性まひで車いすを使う20代の女性の言葉が力強い。「障害のあるひとが『自分の人生』を生きることが妨げられるような差別は、私たちの世代で止めなければ」」(16日付しんぶん赤旗「潮流」より)自身の中にある「差別」は、あらゆる日常生活の中でも生まれています。特に身障者を見ると「気の毒だな」と思い、「あ〜あなったら大変やな」なんて考えてしまうことです。さて、昨日(15日)は、墓参り以外に初めてお休みを頂きました。どこに行くとも考えず、とりあえず敦賀市の「鞠山・海釣り公園」に向いました。「写真は、鞠山・海釣り公園ですが、お昼を過ぎていたので帰路に着く人も、その中でアジが釣れていましたし、隣のバケツではサンバソウ(石鯛の子ども)やチャリコ(鯛の子)が釣れていて、楽しそうでした」
大阪まで墓参りに行って来ました。
2022/08/13
12日(金)は、恒例のお盆の墓参りに行って来ました。安曇川駅発10時18分の新快速・姫路行に乗り、予定では大阪駅に午前11時30分に到着予定でした。ところが、京都駅に停車中に車内で急患が出たととかで、発車が5〜6分遅れました。大きな影響ではありませんが、今日は何かが起きそうな予感がしました。鴻池新田駅に午前12時10分に着き、急いで墓参りに行きました。まだ12日という事もあり、墓前に花が生けられてるのは3分の1ほどでした。駅に戻り、約束していたS先生とY君、H君と私ども夫婦の5人で、先生が予約していた「料理屋」に行きました。私自身、めったにないのですがビールで乾杯し、出て来た料理に舌ずつみを打ちました。2時間ほど滞在した後、コーヒーでも飲もうと近所にある喫茶店でくつろぎました。約1時間ほど滞在の後、今度は9月20日頃に会う約束で、S先生と駅前で別れ、それぞれの帰路につきました。大阪駅発午後5時ちょうどの新快速野洲行きに乗りました。まだ、まっすぐ帰るには早いので、京都駅で下車しました。この時も、京都駅の手前で人身事故があったとかで2〜3分の遅れが出ました。改札を出ると、京都タワーの6階でビアガーデンがあるようで行ってみました。ビル内で迷いながら、なんとか受付まで行ったのですが、バーベキューのお店で、予約が必要だとの事でした。すごすごとビルを後にし、地下のポルタを歩き回りましたが、どこも行列が出来ていて、あきらめました。結局、いつも訪れる「京都劇場・がんこ」に行きました。生ビールを2杯と、串カツ、豚ぺい焼き、まぐろの握りの盛り合わせで1時間ほど滞在しました。嫁さんが、今日は1万歩歩いたと言って、喜んでいました。「いや〜、今日はくたくたやわ」と返事をしておきました。京都駅発午後8時28分の普通近江今津行きに乗りこんだ頃は、すっかり夜になっていました。午後9時20分には近江高島駅まで帰って来たのに、車内放送で「先頭車の窓ガラスに鳥が当たり、ひびが入った」との事でした。「え〜っ、もう一駅なのに」と思い待ちましたが、15分は動きませんでした。よおやく発車出来たのは、20分後の事でした。安曇川駅に着いたのは午後10時になっていました。今日は、3回も電車の遅れがあり、最後の1回は帰れるかどうか心配しました。今朝、起きると右足が痛み、歩行に困難を来しています。まあいくら歩いたかは知りませんが、これくらいで痛む足に情けなくなっています。「写真は、しきぶ温泉・湯楽里で食べたこの日の昼食です」
暑い日が続きますね。
2022/08/10
「世界大会 2022 取材団」「「長崎を最後の被爆地に」と核兵器廃絶を世界に訴え続けてきた被爆者。被爆77年の長崎平和式典は、発効した核兵器禁止条約を力に、平均年齢が84歳になった被爆者の願いとそれを引き継ぐ市民らの決意があふれるものでした。開会は、新型コロナ禍を乗り越え3年ぶりとなる、被爆者歌う会・「ひまわり」による「もう二度と」の合唱で始まりました。「♪もう二度と作らないで 私たち被爆者を この広い世界の 人々の中に」と歌い上げると会場から大きな拍手が起きました。被爆者代表として、「平和の誓い」をのべた宮田隆さんは、「核兵器禁止条約をバネに、私たちの強い意志で、子、孫の時代に、核兵器のない世界実現への願いを引き継いでいく」と表明しました。ロシア・プーチン政権が核兵器で脅しながらウクライナ侵略を続けるなか、田上富久長崎市長は、「暴力で解決しようとする”暴力の文化”ではなく、信頼を広め、話し合いで解決しようとする”平和の文化”を」と訴えました。高校生平和大使の「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める市民共通の合言葉にしょうと呼びかけました。(活)」(10日付しんぶん赤旗「国民運動」欄より)被爆から77年も経過すると、証言者も少なくなり歴史の継承が難しくなりそうです。私が初めて長崎の被爆地に訪れたのは、高校の修学旅行でした。この上空で核兵器が爆発したのだと思うと、ぞっとするような気がしました。さて、東北地方を中心に「豪雨被害」が相次いでいます。ここ安曇川ではほとんど雨が降らないのに、局地的な雨が大量に降るのも「地球温暖化」の影響でしょうね。「写真は、長浜市・余呉町にある「余呉湖」の景色です」
ブルーインパルスが飛んでいます。
2022/08/07
「試写室」「二十四の瞳 NHKプレ 8日 午後9時〜」「68年前の映画初公開以来テレビや映画で幾度も描かれてきた名作が今、この時に登場する。原作・壷井栄、脚本と演出・吉田康弘。前半。日本が満州(中国東北部)占領など太平洋戦争へ向かう不穏な時代だったが、舞台にになる瀬戸内の小さな島には美しい海と山、貧しくも平穏な人々の暮らしがあった。4月、島の小学校の岬分校に赴任してきた大石久子(土村芳)。スカートで颯爽(さっそう)と自転車をこぐ姿に、島民は「おなごがあげな格好して」と眉をひそめるが、受け持つ12人の1年生は優しい女先生が大好き。楽しく学び歌い遊ぶ日々の中、大石は足を骨折してしまい町の本校へ移動し、一時期別れることに。後半。この子たちが尋常小学校を卒業する頃になると・・・。土村は、優しさだけでなく、落ち着いた表情の下に意思の強さを沈めて好演。玉音放送の場、すくっと立ち上がり中座する彼女の背中には、教え子や夫の命を奪ったものへの怒りと生き抜く決意に満ちていた。生き残った7人の教え子が催す謝恩会の場は胸に刺さる。戦争はいつのまにか始まり人々を翻弄(ほんろう)し残酷さだけを遺(のこ)すのだ。(口山衣江 ライター)」(7日付しんぶん赤旗「社会・総合」ノページより)ラグビー部の合宿で、始めて小豆島に訪れたとき土庄港で「二十四の瞳」の銅像が建っていました。それまでに小説を読んでいたので、どこか感慨深いものがあったのを思い出します。さて、今日の高島市では、航空自衛隊の記念式典があり、ブルーインパルスが記念飛行しています。普段は静かな町が、あちらこちらで大渋滞になり関心の高さが伺えます。「写真は、越前市「しきぶ温泉」の館内の様子と、玄関付近です」
今日は、雨が降っています。
2022/08/04
「松本清張は戦後作家の中で群を抜く巨星です。『点と線』『ゼロの焦点』など社会派ミステリーで一大ブームを起こしました。『日本の黒い霧』『昭和史発掘』といったノンフィクションでは歴史と権力犯罪の闇に迫りました。4日は没後30年に当たります。北九州で生まれた清張は家が貧しく、小学校卒で働き始めた苦労人でした。小林多喜二をはじめとするプロレタリア文学に接したため特高警察に逮捕され、拷問を受けたこともありました。戦後43歳で芥川賞を受賞し遅咲きのデビュー。ベストセラー作家になっても弱者の視点を忘れませんでした。評論家の鶴見俊輔は「少年時代に愛読したプロレタリア文学の理想を受け継ぐ人で・・・戦後の高度成長の時代に個人としてこの理想を追求した」と評しています。選挙では日本共産党を応援し、1970年代、80年代は国政選挙のたびに党のビラに顔写真入りで期待を寄せてくれました。80年の衆参同時選挙ではビラにこんな談話を。「私が共産党の人たちに求めるのは、いつまでも清潔さを失わず、誠実に庶民の立場をつらぬくこと、明るく、ロマンチズムを忘れぬことである。現実を重視するのはもちろん大切だが、ロマンのない人では未来を語ることができないからだ。大いに期待している」。幅広いジャンルにわたった1000編に及ぶ作品は現在も販を重ね、ドラマ化が途切れません。82歳で亡くなった後も作品は生き続けています。日本共産党への激励も創立100年の今に響きます。」(4日付しんぶん赤旗「潮流」より)松本清張の小説は、社会人になりたての頃にほぼ全編を詠みました。ただ、作品が多すぎて、題名と内容が一致しないものもあります。最近は図書館で借りて来て、一冊、一冊を大事に読んでいます。さて、毎日晴天で酷暑だった安曇川ですが、今日は雨模様の空になっています。ニュースによると、山形県では記録的な豪雨で川が氾濫し、浸水被害が起きているとか。最近の天候は予測がつかないほど、大荒れになることが多くなっています。「写真は、昨年8月の「鞠山・海釣り公園」の景色です」
8月が始まりました。
2022/08/01
「空襲で九死に一生を得た人、疎開先でつらい思いをした人、「満州」から命からがら引き揚げた人・・・。市井の戦争体験を、カタログ販売の『通販生活』盛夏号が特集しています。「語りつぐ戦争のはなし」と題した読者の体験談の中には、俳優の草笛光子さんや八名信夫さhん、作家の五木寛之さんの話も。聞き書きした作家の森まゆみさんは戦争の原因が何であれ苦しむのは結果、普通の人びとだといいます。戦後77年。体験者に話を聞く最後の機会かもしれないという森さん。日本は「武力による紛争解決を永遠に放棄する」たぐいまれな憲法9条をもつ国であり、平和憲法を堅持し「地上から戦争がなくなる日のために努力したい」と結んでいます。本紙も「証言 戦争」への投稿を呼びかけています。先日は、働き者で実直だった父親が戦場から帰ってきた後に精神が徐々に崩れ変わってしまった姿を息子が話していました。戦争の呪縛を解くことができず、死ぬまで苦悩したと。ロシアによるウクライナ侵略、岸田政権による大軍拡と9条改憲、そして核兵器の使用や共有が声高に叫ばれるいま、戦争の悲惨を伝え続ける意義は大きい。紹介した『通販生活』の表紙にはこんな一文がつづられています。「77回目の『廃戦記念日』がやってくる。体験から生まれたわが国の理想(憲法9条・戦争の放棄)を年に1回、世界に発信する記念日。理想にこだわらないと現実は変えられない」。二度と戦争はしないと誓った夏が、まためぐってきます。」(1日付しんぶん赤旗「潮流」より)私たち昭和27年生まれの者は、中学校でこの憲法の話を聞いたとき、なんとすばらしいものが出来たと感心しました。今また、改憲が叫ばれる時、誰が徳をし、誰が損をするのかよく考えなければいけませんね。さて、早いもので7月も終り、今年も残すところ5カ月。また、お盆の時期が近づいて来ました。また、コロナが勢いを増し、政府の対応の遅さに庶民は泣かされています。「写真は、昨年の「南越前町の花は素公園」の景色です」
毎日、暑い日が続きますね。
2022/07/29
「「今年は、ママいがい家族全員コロナになってしまったのでびんぼうなのに、お金がたくさん必要になってしまっいました。ママが今、三つお仕事しているけどお金がまだ足りないみたいです」。子どもの学習支援や食料支援、政策提言などに取り組む認定NPO法人キッズドアが、今夏も緊急食糧支援を実施しています。クラウドファンディングで資金を集め、2375人に順次発送。長引く新型コロナと物価高騰の中、貴重な活動です。支援前の緊急アンケートでは、5割が「物価高騰で生活が大変苦しくなった」と答えました。渡辺由美子理事長は、ひとり親家庭の貧困率が高い理由を三つあげています。長く続いてきた就労構造と男女の賃金格差。養育費の受取率が低い。こうしたしくみが「世界一のワーキングプァ」を生み出しています。保育園が休園、子どもが学校で感染、部活で濃厚接触者になど、子育て家庭には仕事に行けないリスクが高くなっています。もともと非正規雇用が多いひとり親家庭の収入源に直結、悲惨な状況へと追い込まれているのです。「息子たちに『白いごご飯が食べたい』と言われつつ、麺やパンやお好み焼きで主食も安くすませるために我慢させています」。過去に食料支援を受けた人たちからのメッセージの一節です。ところが、頼みの綱の小麦粉も穀物価格の高騰で値上がりに。10万円の給付金をまだもらっていない、との回答も1割弱から。「自助」ではない、優しい政治は待ったなしです。」(29日付しんぶん赤旗「潮流」より)景気が持ち直していると報道されますが、そんな実感は、私にはまったくありません。現実に庶民の生活はますます厳しくなっているような気がします。さて、全国で局地的な雨が放送されますが、ご当地安曇川ではそれもありません。まさに砂漠状態で、一雨降らないかなと思っています。「写真は、玉泉寺の曼荼羅絵と観音様と本堂の光景です」
今年初めてセミの鳴き声を聞きました。
2022/07/26
「進化学に「赤の女王仮説」と呼ばれるものがあります。小説『鏡の国のアリス』に出てくる赤の女王のせりふ「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない」から転じました。生物の種や遺伝子が生き残るためには、つねに進化しなければならないという意味で使われます。新型コロナウイルスが変異を起こして環境に適応しようとしていること、それにワクチンなどで対抗しようとする私たち。これは二重の意味で赤の女王仮説に当てはまると、遺伝学者の五條堀(ごじょうほり)孝さんはいいます。変異株への置き換わりが進んでいる日本で感染が急拡大しています。先週の新規感染者は前週の1・68倍で、初めて100万人を突破。過去最悪の状況だった弟6波ノピークの2倍に増えてもおかしくない勢いと専門家もいいます。発熱外来は各地でパンク状態に。都内では1日100件以上の問い合わせがあり、すでに限界をこえてるクリニックも。緊急事態にもかかわらず、政府の対策はなきに等しい。変異株への警戒はゆるみ、医療や検査体制も強化されないまま。国民の命と健康を守ることを投げ出し、パンデミックを過小評価する動きもあります。五條堀さんは著書『「新型コロナワクチン」とウイルス変異株』で、新型コロナはまだ進化の途上にあって人間や環境に適応しきっていない、だから変異しないと生き延びられないと説きます。対処するにはウイルスと人の関係を検証し、正確な科学的知見に基づき正しく認識することだと。」(26日付しんぶん赤旗「潮流」より)コロナ禍と戦ってまる3年を過ぎましたが、なかなか制圧のめどが立ちません。この8月にはピークを迎えるとかで、またまた外出がおっくうになります。さて、今朝ゴミを出しに集会所まで行きましたが、大きな桜の木からセミの鳴き声が聞こえて来ました。いわゆるクマゼミの鳴き声ですが、ようやく夏本番の気がしました。「写真は、友人の住職がいる「玉泉寺」を訪ねて来ましたが、地獄絵と本堂の仏像と石仏です」
まだ、セミが鳴きません。
2022/07/23
「こどもの ひとこと」
★絵本が読めるよ★
文字が読めるようになった4歳孫、メイちゃん。ひとりで絵本を持って来た。「ばあちゃんにも読んで聞かせて」と言うと、ひと言。「ダメ!メイちゃんは心で読むから」
(藤岡幸永 69歳 大阪市)
★話を忘れるじい★
夫は話を聞いたことを忘れたり思い出せない時がある。娘に話すと笑っていたが、孫はそれを聞いて「じい、大丈夫なん?」
(門節子 74歳 滋賀・甲賀市)
★赤ちゃん指の先★
次男が3歳の頃。「この指がお父さんでしょ、この指がお母さんでしょ」。赤ちゃん指までいき、「あと2本あれば、おじいちゃんとおばあちゃんができるのにな!」。
(山下清子 68歳 保育士 相模原市)
★誕生日会が延期★
孫のあきと君、誕生日直前の日曜日に予定していた誕生日会が発熱のため1週間延期。誕生日当日、「ケーキの火は消していないし、ケーキを食べてないからまだ本当の5歳じゃない」。次の日曜に、無事本当の5歳に・・・。
(鉄腕26号 愛知県)
★「唐津くんち」へ★
長女(30代)が小学生だった頃。「唐津くんち」(佐賀県唐津市のお祭り)へ遊びに行こうととなった。すると長女からの質問が。「からつ君ちって、だれ?」
(松尾健二 67歳 アルバイト 福岡・久山町)
(23日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
7月も下旬になって来たのに、まだ夏らしい景色に出会えていません。特に、まだセミの鳴き声が聞こえて来ませんが、こんな田舎でもセミの数が減ったのでしょうか?早くやかましいくらいのセミの鳴き声を聞いてみたいです。「写真は、三和漁港周辺の夏の景色です」
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