台風14号が接近中です。
2022/09/19
「東京電力福島弟1原発事故で1〜3号機は炉心溶融し、核燃料が原子炉圧力容器内に解け落ちました。それから11年半が経過。溶融した燃料(デブリ)に今も水をかけて冷やしており、地下水や雨水と混ざり、放射能汚染水が増えています。東電は先月、2号機で年内に予定していたデブリの取り出しを来年度後半に延期しました。取り出しは試験的なものでわずか数c。デブリは3基で計880dという推計もあり、どうやって取り出すかの見通しはありません。3号機のデブリを取り出すため、原子炉建屋全体をい囲って建屋ごと冠水させる方式を検討していることも今月、明かされました。どの方法を取ってもデブリを取り出す作業で水質が悪化する可能性があるといい、事故の収束・廃炉作業の困難さはいかばかりか。ところが、岸田首相は政府の会議で、原発の再稼働に向け「あらゆる対応をとる」といい、原発の新増設や運転延長の検討を加速するように求めました。国民の安全は置き去りです。先日、事故をめぐって住民らが国と東電に損害賠償などを求めた「生業(なりわい)訴訟弟2陣」の弁論がありました。第1原発が立地する福島県大熊町から避難した60代の女性がこう訴えました。「国が原発を認めてやってきたのに、東電にだけ事故の責任を負わせるのは間違っている。11年たったからといって、事故前の生活を忘れて生きていけるものではありません」と。首相の表明は、原発事故など忘れろというに等しい暴挙です。」(19日付しんぶん赤旗「潮流」より)この事故の後始末のために、日本の有数企業が挑戦していますが、なかなか上手く行っていません。高レベルの放射能で、機器が思うように動かず苦戦しています。琵琶湖から30`も離れていない若狭湾に、原発銀座がありますが、もし事故になれば、琵琶湖が汚染され、水が利用出来なくなります。そう考えると、決して他人事ではありませんね。さて、台風14号が昨夜、鹿児島市に上陸し、今日の夕方には関西に最接近するようです。すでに朝から強風が吹き、天気は荒れ模様です。お昼過ぎには営業を止め、自宅で待機しようと思っています。「写真は、しきぶ温泉「湯楽里」の館内の写真です」
台風14号が接近中です。
2022/09/16
「こちら経済部」「インタビューは真剣勝負ー。先輩記者がよく口にしていました。それにしても、相手に何を聞いたらいいのやら。そおそも相手が何を知っているのか。だいたい、相手は何を話したいのか。取材前は、いまくいくのか不安になり、緊張するのが常です。だから多くの記者は、入念に準備しています。あれこれあるなかで、「おやっ」と驚くことがあります。取材相手が、こちらの話をメモにしていることがあります。私の体験では、専門知識の豊富な人に、多くみられます。飽くなき知識欲なのか。あるとき、政府寄りの軍事専門家に「どうして赤旗の取材を受けるのですか」と聞いたことがあります。「こちらも勉強になるからです」取材する側が取材されているわけです。やはり、よくよく準備することが必要。真剣勝負の意味が、ようやく分かりかけてきました。」(16日付しんぶん赤旗「経済」欄より)東京の、集会に参加し、赤旗の記者と会話したことがあります。その時は女性でしたが、なかなか厳しい質問を受けました。その翌日の赤旗に「記事」として自分たちが写っているのに驚きました。さて、またまた台風が接近中で、週末は大荒れになりそうです。20日に予定していた墓参りも延期し、来週の25日に変更しました。今回は3連休だったあので、遠出を予定していた方も多かったと思います。「写真は、近所で見つけた咲きだした彼岸花です」
1日遅れの店長日記。
2022/09/13
「秋の味覚のひとつ、サンマが出回りはじめています。近年は不漁で高値続きですが、安くておいしい季節の大衆魚として長く日本の食卓に上がってきました。沖縄の家庭にサンマが定着したのは戦後からだといいます。アメリカの占領統治下で、祖国復帰の願いとともに普及していった「日本の味」。そのサンマへの不当な課税をめぐり、ひとりのおばあが裁判をおこしました。相手は絶対的な権力者のキャラウェイ高等弁務官。「サンマ裁判」といわれた闘争は、自治や復帰運藤、民主主義をもとめる沖縄の人びとを巨大な渦に巻き込んでいきました。「沖縄は『奪い取られる』という状況のなかで、『人権』への目覚めが激しく生まれてきた」。牧師として県民とともに歩んできた平良修さんは、沖縄にとっての民主主義についてそう語っています(『サンマデモクラシー』)。「オール沖縄」の玉城デニーさんが沖縄知事選で勝利しました。岸田政権丸抱えの相手候補を大差で破っての再選です。辺野古の新基地建設に改めてノーを突きつけ、「県民の思いは1ミリもぶれていない」と。それでも「唯一の解決策」をくり返す政府のいかにごう慢か。復帰50年の沖縄を取材したとき、基地建設の土砂を運ぶ港の前では抗議活動が続いていました。牛歩で抵抗する女性は「1分でも1秒でも遅らせることが沖縄の未来につながると信じて」。民主主義を抑えつけるものにあらがい続けてきた島の歴史。たたかいをあきらめることは決してありません。」(13日付しんぶん赤旗「潮流」より)沖縄の知事選は、なかなか厳しいと聞いていたので、早々とテレビに「当確」の通知が出て、本当に良かったです。同時に岸田内閣の不支持が支持を上回り、「国葬」を強行すればますます下がるでしょう。さて、今朝に近所のあぜ道で「彼岸花」を見つけました。それで、いつも沢山咲いている場所に出向きましたが見つかりません。まだ少し早いのかなと思い、改めて出直すことにしました。{写真は、近所の道にカマキリが歩いていましたと、紫の葛の花が咲いていました」
今日は朝から雨が降っています。
2022/09/09
「どれほど暑く、苦しかったか。車内からは空っぽの水筒が見つかりました。置き去りにされ、いつまでも助けを待っていた幼子。くり返される痛ましい事件に胸が締めつけられます。静岡・牧之原市の認定こども園に通う3歳の女児が、およそ5時間にわたって通園バスに放置sれ、重度の熱中症で亡くなりました。発見されたとき、女児は服を脱いだ状態で倒れ、体温は40度まで上がっていたそうです。園側の説明から見えてきたのは、いくつもの確認を怠っていたこと。車内の点検や降車時の人数、さらに登園時やクラスの担任による出欠も確認していませんでした。命を預かる立場にあるのに、あまりにもずさんです。昨年の7月にも福岡・中間市の保育園で同様の悲劇が起きています。その後、国から自治体などにむけて安全管理の徹底をもとめる通知が出されましたが、今回それも守られず、通知だけでは現場に徹底されない現状も明らかになりました。子どもが散歩中に置き去りにされるケースも相次いでいます。東京都内だけでも、昨年度は80件近い置き去り事案があったと報告されています。確認や点検という基本がおざなりになっている背景に保育現場の深刻な人手不足を指摘する声も。泣き叫び、興奮して過呼吸になった人たちが次つぎと救急車で運ばれ、中断した保護者説明会。いたまれない気持ちを抑えて参加した被害者の父親も訴えたといいます。あと10日ほどで4歳の誕生日を迎えるはずだった、わが子を思いながら。」(9日付しんぶん赤旗「潮流」より)この園の記者会見を見ましたが、根本的に過ちを認めず、謝罪にhなっていませんでした。通園バスもこの日が久しぶりで点検を怠っていたとは、言語同断であります。さて、今朝は朝から雨模様で、昼近くに上がり今は晴れています。最近は天候が不安定で、これも地球温暖化の関係かもしれません。「写真は、かばた館の近くで見つけた梅花藻の花です)
台風11号が接近中です。
2022/09/06
「サンマ 不漁いつまで?」「秋の味覚サンマのシーズンが到来。近年は不漁続きで、細くて小さい割に値段が高くなっています。いつになったら漁が回復し、脂の乗った塩焼きを食べられるのでしょうか。資源研究者も頭を悩ますばかりですが、中には「イワシが不漁になれば」との声もあります。サンマ漁は、主力となる大型の棒受け網漁船が、毎年8月下旬に操業を開始。以前なら9月に入ると、北海道などの漁港でサンマがあふれ、首都圏のスーパーでは大きなサイズでも1匹100円ほどの特売が行われました。ところが、最近は小型魚ばかりで量も少なくんっています。2000年以降、年間20万〜30万dあった漁獲量は近年急減。昨年は2万dにとどきませんでした。東京都内のスーパーでは昨年、ほっそりとしたサンマが200円以上で売られることが多くありました。不漁気に入ったサンマは、海水温の上昇など海洋環境の変化に加え、外国漁船による初夏の「早取り」など、さまざまな要因が指摘されてきました。国内の資源管理デサンマを増やそうとしても、難しい状況にあります。サンマの寿命は長くて2年で、漁獲するのは主に1歳魚。「外国船も含めて1年くらい禁漁にすれば、資源は回復するのではないか」と指摘する声もあります。しかし「生まれても餌が少ないことなどで、成長前に死んでしまうケースが圧倒的に多い」(資源研究者)といい漁獲が不漁の最大の要因ではないかという見方が多くなっています。じっと豊漁になるのを待ち族けなければなりませんが、復活へのちょっとしたヒントはあります。過去の漁獲データーから「イワシが増えている時は、サンマ漁が低調」(同)という傾向があります。資源調査でも「イワシとサンマのの分布ははっきりと分かれ、日本に近い近海でイワシが豊漁になると、サンマが来遊しにくい」(同)といいます。2魚種は動物性プランクトンの餌でも競合関係にあるとされています。イワシが順調に取れている今は、サンマが少なくなっています。しばらくは不漁が続きそうですが、イワシが急激に減れば、サンマが一転して豊漁になる可能性のありそうです。(時事)」(6日付けしんぶん赤旗「政治・総合」のページより)この説が正しかったら、また大きなサンマが安く食べられることになるので、今は我慢の時かもしれませんね。さて、台風11号が日本海を北上中ですが、ここ安曇川でも風速10b前後の突風が吹いています。今は雨が降っていませんが、午後からは雨も強くなると予報されています。状況が悪化すれば、早じまいも考えなければいけません。「写真は、湯楽里に飾られたクマとシカのはく製と、温泉の由来の紫式部の人形です)
台風11号が接近中です。
2022/09/03
「「知らない街を 歩いてみたい・・・」の歌でもおなじみの旅番組「遠くへ行きたい」(日本テレビ系 制作・読売テレビ)。4日放送の「体感!国境の島 今昔ものがたりー長崎県・対馬市ー」は、俳優の竹下景子が旅をします。”国境の島”とは、韓国に近い島という意味です。竹下は「目保呂ダム馬事公園」へ。古墳時代に朝鮮半島から日本にやってきたといわれる対州馬(たいしゅうば)に会いに行きます。「ずっと会いたかった」と竹下。人懐っこい馬と触れ合い感激します。対州馬は、大きさはポニーほどです。古くから島の暮らしを支えてきた馬として知られています。旅といえば人との交流。竹下は「長崎県立対馬高校」を訪れます。「国際文化交流科」の授業をのぞくと韓国語で授業をしていました。卒業後、韓国に進学、就職する生徒が多いと説明を受けた竹下は、「桜ケ丘寮(女子寮)へ行き3年生と対話します。さらに「せん」というサツマイモのデンプンで作る郷土料理「ろくべい」作りを体験。絶滅危機種のツシマヤマネコを探すツァーに出発!旅の締めくくりは唐・新羅の侵略に備えたとされる山城「金田城」を目指します。目の前に広がる絶景とはー。」(3日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)この番組を見ると、「どこかに旅に出たいなあ」と思うのは私だけでしょうか?「旅に出て良いのは、帰る場所があるからだ。帰る場所のない旅が人生なら、それもまた良いだろう」と書いたのは「サトウハチロー」でした。さて、迷走している台風11号は、一転北上し6日(火)に近畿に最接近するようです。大きな被害が出ないことを祈っていますが、さてどうなる事でしょう?「写真は、今はなき寝台特急と、懐かしい電気機関車と、先頭車に付けられたヘッドマークです」
昨日は私の誕生日でした。
2022/08/31
「16代600年も続いてきた旧家でした。江戸時代までは武家でしたが、藩の没落で農家に。庭のツゲやマツは先祖代々うけつがれてきたもの。「帰れるもんなら帰りたい」。その屋敷で人生の大半をすごしてきた女性は涙をこぼしました。原発の事故によって埼玉県に町ごと避難した福島・双葉町。故郷を追われた苦難の姿はドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」にも描かれました。築いてきた生業(なりわい)、地域や人とのつながり。すべてを奪われてからの歳月の重さがひしひしと。およそ11年半ぶりに、避難指示が解除されました。ただしJR双葉駅周辺のごく一部。いまだに町の大部分は帰宅困難地域として残ります。以前、真新しい駅舎の周りを歩いたことがありますが、荒れ果てた家や商店との対比にやるせなさが募りました。自宅にもどったばかりの住民は「復興には、まだまだ遠い」と話します。実際、帰還を希望する町民は1割ほどにとどまり、生活環境や放射能への不安から帰らないことを決断した人も。長期化する避難生活、収束のめどさえたたない事故。原発が立地する町は、それが人間の営みと相いれないことを切々と訴えています。いまも福島全体で3万人以上が避難するなか、岸田首相は原発7基の再稼働追加と、運転延長や新設まで検討するよう指示しました。まるで、事故などなかったかのような無責任の極み。汚染水の海洋放出にも前のめりです。人生の最後はふるさとですごしたいーその言葉をなんと聞く。」(31日付しんぶん赤旗「潮流」より)人生の中で、10年以上もブランクがあれば、生活の拠点も変わってしまい元に戻るのは老人ばかりになりそうですね。さて、昨日8月30日は私の70歳の誕生日でした。とりあえず、希望していたお寿司と唐揚げとケーキでお祝いしてもらいました。いよいよ人生も終盤に向かい、「あと何年生きられるだろうか?」と思いました。「写真は、昭和の駅舎と、なつかしいディーゼル特急と、電気機関車です」
暑さもやわらぎました。
2022/08/28
「連載の1回目でとりあげたのは、長野・松本市の食堂「ピカドン」でした。広島で被爆した前座良明さんが開き、店先に飾られていた折り鶴。それがヒントになりました。日本原水爆被害者団体協議会が月1回発行する「被団協」新聞。そこに、40年以上500回にわたって描かれた4コマ漫画があります。最後の被爆漫画家といわれる西山進さんの「おり鶴さん」です。西山さんは17歳の夏、養成工として働いていた三菱長崎造船所で被爆。無数の死体とうめき声の中を救助に回りました。そのときの生き地獄が、戦争と原爆の惨禍を二度とこの地球上にもたらしてはならないとの誓いにつながったと。25歳で漫画家をめざして上京、新聞の連載を始めたのは1979年から。以来、被爆者や戦争体験者の心からのねがいを怒りや悲しみ、笑いや温かさを交え、わかりやすく伝えてきました。庶民の営みや運動、権力への風刺をおりこみながら。今月「おり鶴さん」が単行本となって出版されました。いまは94歳で療養中の本人も「ひとりでも多くの人に原爆の恐ろしさを知ってほしい。この本を手にとってもらえたら」と喜びます。世相を映しながら平和への強い思い、それに背を向ける政治への憤り、そして未来への希望を折り鶴に乗せてきた西山さん。そこには核廃絶を求める世界中の市民と同じ思いが流れています。悪魔の兵器にしがみつく一部の大国を包み込む圧倒的多数の声。それこそが西山さんが描いてきた草の根の力です。」(28日付しんぶん赤旗「潮流」より)西山さんの根気強い運動のおかげで、弟2の広島や長崎が起きていないことも事実ですね。さて、朝夕がめっきり涼しくなり、セミの鳴き声も遠のき、コオロギが静かに鳴いています。こうなると、あの夏のうだるような暑さが懐かしくもあります。「写真は、動体保存されている梅小路機関庫の景色です」
クツワムシが鳴いています。
2022/08/25
「わがまち ふるさと」「和歌山県・すさみ町」「紀南地方の海岸沿いには地質学的な見所といわれるジオサイトが多くあり、和歌山県すさみ町も紀南の9市町村と奈良県十津川村の一部で構成された「南紀熊野ジオパーク」のエリアに入っています。その一つに、世界的にも名の知れた褶曲(しゅうきょく=深い海にたまった砂や泥が陸地に押し付けられ折りたまった岩石)があります。自然環境に配慮した褶曲への歩道の整備が行われています。現在、紀南のジオパークが世界ジオパークに推薦されるかどうか調査の段階です。推薦されれば2025年3月に認定の可否が決まります。2015年に紀勢自動車道が開通し、すさみ南IC降り口にある「道の駅」は海岸の高台にあり、隣接した「エビとカニの水族館」ではめずらしい甲殻類に出会えます。防災の道の駅としても選定されており、まちでは防災に力を入れています。また、和歌山県内2番目に高齢化率が高いすさみ町は、子育て応援の施策を進めながら、空き家対策や定住支援にも取り組んでいます。小さな町ながら、国保すさみ病院の建て替えも決まり、来年秋に移転するはこびとなっています。(竹本直美町議)」(25日付しんぶん赤旗「地方・総合のページより)すさみ町は以前「周参見」町と書いた記憶があります。まだ、私が20代の頃、高校生時代の友人と1泊した思い出があります。宿舎の目の前の海で、釣りをしましたが、大きなグレやタイが簡単に取れました。海の美しさは抜群でしたが、お昼に食べた「サンマ寿司」は忘れられません。あの頃は紀勢線で行ったのですが、白浜駅より先に行ったことがなかったので、随分と遠く感じました。あれから45年が経ちましたが、今も変わらない海でしょうか?さて、夜に近所を散歩すると、クツワムシの騒がしい鳴き声が聞こえて来ます。朝夕がめっきり秋らしくなり、虫もそれを感知しているのでしょう。「写真は、色々な信号機の展示と、シユミレーションで運転体験する孫と、広い模型の列車が走るコーナーです」
5年ぶりの京都交通科学館。
2022/08/22
「再審請求の男性「無罪の獲得を」」「愛知県豊川市で2002年7月、1歳男児を車から連れ去り殺害したとして、殺人などの罪で懲役17年の有罪判決が確定し、刑期を終えて出所した田辺(旧姓河瀬)雅樹さん(55)=再審請求中=が20日、大分市内で記者会見し、「全く事件に関わっていない。再審無罪を獲得したい」と改めて訴えました。17年の刑期を「非常に長かった。いつ無罪になるかということばかり考えていた」と振り返り、「一日も早く社会に慣れ、通常の生活をしたい」と語りました。弁護団長の後藤昌弘弁護士は再審について「できる限りのことはしたい」と述べました。田辺さんは03年に逮捕され、捜査段階でいったん自供したものの公判で全面否認に転じ、自白調書の信用性が争点となりました。一審名古屋地裁は無罪としましたが、二審名古屋高裁が逆転有罪を言い渡し、08年に最高裁で確定しました。日弁連の支援を受け、16年に再審請求。名古屋高裁で棄却され、同高裁で異議審が続いています。19日午前に大分刑務所を出所しました。」(22日付しんぶん赤旗「社会・総合」欄より)この再審請求の案件は意外と多く、全国で争われています。この事件も現地調査では矛盾がいっぱいあり、供述との矛盾がありました。それにしても、一旦有罪になるとその門戸が狭いのは国民が知らない事です。さて、20日(土)は長男の孫が7歳の誕生日だと言うので、お祝いに駆け付けました。大の電車好きで、本人の希望で「京都交通科学館」に行きました。あまり本物の電車に関心はなく、模型の電車に夢中でした。「写真は、入り口に展示されている0系新幹線と、湘南型急行列車と、今は懐かしい大阪環状線の電車です」
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