今日から3月ですね。
2023/03/01
「「戦争が廊下の奥に立ってゐた」。いつの間にか忍び寄る、不気味な影。そこに引き込まれていく不安がひしひしと。大戦迫る1939年に俳人の渡辺白泉がつくった句です。「制服姿の隊員が孫を訪ねてきた」。住民から寄せられた声にこの句を思い起こしました。自衛隊員の募集のために札幌、旭川、帯広の北海道3市が6万人の個人情報を提供していたと本紙が報じました。市民への周知もないままに。数人の隊員が家に来てなかなか帰らなかった、高校3年生がいる自宅のポストに手書きの手紙と募集リーフレットが同封された自衛隊からの「お知らせ」が入っていたー。知らない間に情報が握られていることに市民からは苦情や憤りも。少子化や相次ぐハラスメントの影響もあって、応募者が減り続けているという自衛隊。あの手この手で誘っていますが、防衛省が自治体から募集対象者の情報を本人の承諾なしに入手しているやり方に批判が広がっています。昨年度は全国1741の市区町村のうち、962の自治体が18〜32歳の募集対象者の氏名や住所、性別、生年月日の情報を同省に提供したとの報道もありました。これには個人情報保護法や、プライバシー権を定めた憲法13条に違反していると専門家も指摘します。先の句を詠んだあと、白泉は治安維持法によって投獄されます。しかしいまは戦争の影を払いのけ、岸田政権が突き進む大軍拡に反対をつらぬく市民や政党が健在しています。「子どもたちを戦争に巻き込むな」と。」(1日付しんぶん赤旗「潮流」より)私も、市の窓口で「そこを教えて欲しい!」と言うと、「個人情報だから出来ません」と言われます。しかし、自衛隊には、お上からの圧力なのか簡単に知らせてしまう怖さはなんなのでしょう?さて、早いもので2月も終り、3月に入りました。日増しに暖かくなり、春がそこまで来ているようですが、想定外の雪が降ることがあるので、まだまだ気が抜けません。明日は、商工会の旅行で、嵯峨野に行き、「トロッコ列車」に乗って来ます。また、次回の店長日記で報告したいと思って居ます。「写真は、今年最後の雪?になった近所の光景です」
今朝は積雪2pです。
2023/02/26
「こどもの ひとこと」
〇繰り返される歌〇
歌も歌えるようになってきた、わが家の宗ベビ2歳。「♪ひーかーるーおーさーるー」。一日中繰り返されるこの歌が、何の歌かサッパリ分からない。ある日ロングバケーションを・・・。「♪キーラーキーラひーかーるーおーさーる」。「きらきら星」でした。
(パー子 41歳 東京都)
〇鰆の西京焼きや〇
保育園の給食を作っています。朝のお当番さんが「今日の給食はなんですか?」と聞きにきたので「鰆(さわら)の西京焼きやで」というと、「よっしゃ!最強や!」。「そっちとちゃうよ」と大笑い。
(かずのみいこ 55歳 京都府)
〇真剣な顔で質問〇
40年ほど前。1年生だった娘が学校から帰ると真剣な顔で聞きました。「おばあちゃん、子どものころ、本当にサルだったの?」
(山崎雪絵 81歳 山形県)
〇折り紙の時にね〇
保育士をしていた頃、年長児のA君が、折り紙をしていた私の横に来て「先生は、おばあさんか?」と。「えっ、どうして?」「ママの手、つるんつるんやで」
(庄ちゃん 69歳 大阪府)
〇指導員を思い涙〇
小3孫が、最近亡くなられた学童指導員を思い出して泣いていた。母親が「信頼している人に話すといいよ」と言うと、「若い人よりお年寄りの方が信頼できる。でも、お母さんに話したから、ほっこりした」。
(仲村倫子 79歳 奈良県)
(26日付しんぶん赤旗「読者の広場」より)
子どもの発想は奇想天外で、大人では考えられないことを思うのですね。さて、今朝起きて見ると、昨夜にはなかった雪が積もっていました。積雪は2cm程度ですので、大したことではないのですが「なごり雪」のように感じました。気が付けば2月もあと2日、春はそこまでやってきているのでしょう。「写真は、今朝の近所の雪景色です」
今日は何の日だっけ?
2023/02/23
「わがまち ふるさと」「滋賀県・野洲市」「滋賀県の南部に位置する野洲(やす)市は2004年、旧中主(ちゅうず)町と旧野洲町が合併して誕生しました。近江富士と呼ばれる風光明媚(めいび)な三上山から鏡山へと連なる山地から、琵琶湖へと肥えた平野が広がる自然豊かな町です。山地部には希望が丘文化公園、湖岸部にはビワコマイアミランドがあり、多くの人が自然とレクレーションに親しんでいます。近年はマイアミオートキャンプ場に、他府県からも多くの人が来られ、琵琶湖に親しんでいます。町は弥生時代の日本最大の銅鐸(どうたく)が出土し、「銅鐸の町」として知られ、大昔から豊かな農地での米作りが続いてきました。近年は農業者の高齢化で担い手不足が大きな課題ですが、「魚のゆりかご水田」という、かつて琵琶湖周辺で普通に見られた人と生き物が共生する水田を復活させる農業が取り組まれています。コイやフナなどが遡上(そじょう)できるように魚道を作り、田んぼで産卵し稚魚が育つような、農薬を使わない人にも自然にも優しい農業を実践されており、22年7月に世界農業遺産に認定されました。市内では大規模農家が無農薬の米作りを頑張っています。(小菅康子市議)」(23日付しんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)」野洲市に年に数回訪れますが、宅地化が進み今ではベッドタウン化しています。自然が残されているのは、三上山の周辺と希望が丘です。希望が丘は県立公園ですので、学校のイベントでよく使われます。私もまだ銅鐸は見たことがないのですが、機会があれば見て見たいものです。さて、今日は何の日とお客さんに訊くと、「さあ〜、何の日ですか?」と答えが返って来ます。「天皇誕生日ですよ」と言「あれは、4月29日と違うのか?」と言われます。「写真は、初めて利用した第二名神と、宝塚北のサービスステーションです」
今晩から雪の予報です。
2023/02/20
「きょう2月20日は、作家・小林多喜二の没後90年にあたります。節目に前後して今年も各地で記念の集いが開かれています。先陣を切った1月の小林多喜二国際シンポジウム。中学生の子を持つ作家の梅村愛子さんが語りました。「中学校は校則でがんじがらめ。子どもたちは耐えて流して、反抗もしません。この子たちにこそ多喜二を読んでほしい」。「母親はこんな偉そうなことを言ってるけど、うちの子は本も読まず、ユーチューブばかり。矛盾を感じています」とも。客席の高齢女性から「子どもは親の背中を見ています。安心して頑張って」と励ましの発言もあり、会場は温かい拍手でわきました。11日の「文学のつどい」では芥川賞作家の若竹千佐子さんがビデオメッセージを寄せました。昨年ドイツの日本文学研究者から「多喜二はドイツでも読まれています。お母さんが最後に多喜二にかけた言葉が忘れられません」と言われたそうです。母セキは多喜二の遺体にすがり「もう一度たたねか、みんなのためにもう一度立たねえか」と泣き崩れました。この言葉はくしくも『蟹工船』のラスト「そして、彼等は、立ち上がった。ーもう一度!」と重なります。今年初めて開催されるのが23日、日本橋公会堂での築地多喜二祭です。事務局の福田和男さんはこう話します。「大軍拡の危機にあるいま、多喜二終えんの地、築地でやらなければと。戦争に反対して殺された多喜二をよみがえらせることが軍国化阻止の力になると思っています」。」(20日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私も「蟹工船」を詠みましたが、想像を絶する労働で、読むだけで胸が熱くなりました。派遣労働が4割を占める今、ますますその評価が上がります。さて、土日と2日間は、雨模様の空でしたが、今晩から明日にかけて、雪が降ると予報されています。また、雪かきをしなければいけなくならない様に祈るばかりです。「写真は、淡路島のレストランで見かけた景色です」
淡路島に行って来ましたA。
2023/02/17
「ほっと」「古希お祝い会」「今年のお正月、うれしいことがありました。横浜に住む長男が中心になって相談したようで、私たち夫婦に「古希お祝い会」プレゼントを計画してくれました。思ってもいなかったことでビックリ。「どこかに出かけて」と考えたけれど、予約ができなかったからと、自宅での夕食会となりました。昼間に出かけた私たちの留守中に、買い物などをして準備してくれました。私たちは、この機会にこれまで話していなかった70年の「歴史」をお互いに話ました。妻の話を聞き、「私も聞いてなかったな」と言うこともありました。共働きで子どもたち3人を育て、忙しかった日々でしたが、楽しかった多くのことを思い出しました。親子5人の楽しい時間でした。」
(岡山県倉敷市 住寄 善志 69歳)
(17日付しんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)
私たちとよく似た年齢で、良い家庭を築かれたのだなと感心しました。文章を読んでいるだけで、涙もろくなった自分がいました。さて、「県外視察研修」ですが、淡路島の北端に位置する淡路市に、「パソナグループ」がレストランをはじめイベント施設の運営を行っているとの事です。パソナグループと言えば、人材派遣を行っている会社で、今でも売り上げ3000億円の半数を稼いでいます。話は良い事ばかりですが、沢山の派遣労働で大きくなったのは間違いありません。それでも、過疎化が進む淡路島で、この様な企業が来てくれるのはありがたい事でしょう。「高島市にも来てくれないかな?」と誰かが話すと、「それは、なかなか難しいでしょう?」との会話になりました。「写真は、昼食を摂ったレストランと店頭に飾られて「ロールスロイス」と「フェラリー」と「馬車」です」
淡路島に行って来ました。
2023/02/14
「スキマメモ」
〇・・・コンクリートのスキマでは、乾燥に強い植物たちが多く生えています。夏のスキマは熱すぎるので、意外と冬の方がたくさんの植物がみられることが多いです。
〇・・・ここで暮らす植物たちにとって大きな弊害の一つには、踏まれてしまうこと。踏まれると多くの植物が枯れるか弱ってしまいます。そのため、植物たちはちょうど踏まれない安全地帯を見つけて上手に生きています。どんなところに多いのか観察してみると、ひび割れてくぼんだところや段差の端っこなど、「確かにここは踏まれないな」と附(ふ)に落ちる場所で暮らしているのがわかるはずです。踏まれないギリギリのところまで葉っぱを広げていて、空間を上手に使っているのがうかがえます。くぼみやひび割れの少ないところや、一日中日が当たって乾燥する場所には、あまり生えません。
〇・・・コンクリートのスキマという厳しい環境で生きるには、それなりの工夫が必要です。どうやって踏みつけや乾燥を逃れているのかも併せて探してみてくださいね。」(14日付しんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)普段の生活で、コンクリートから植物が生えているのはよく見かけますが、ほとんど関心がなく見逃しています。この記事を見て、その様な事にも目を向けたいと思いました。さて、昨日(13日)は、商工会の「県外視察研修」に参加して、淡路島の淡路市までバスで行きました。午前7時30分の集合だったので、午前6時には起床しましたが、まだ外は真っ暗で驚きました。湖西バイパスから名神・京都東から第二名神を初めて通り、明石大橋を渡り、午前11時過ぎに着きました。「写真は、道の駅「あわじ」から見た明石大橋です」
今日は雨が降っています。
2023/02/10
「原発の60年を超えた運転に対応した新たな制度案を決めようとした8日の原子力規制委員会。委員の一人が「私はこの案には反対いたします」と表明しました。このため、決定は後日に持ち越されました。反対したのは地震や津波対策の審査を担当する石渡明委員。地震学者で日本地質学会会長を務めました。提案された制度は「原則40年、最長60年」という現行ルールを改め、60年を超える運転を可能にする内容です。原発の運転年数から審査などで長期停止した期間を除外して、60年を超えても運転できるよう法改正をねらう岸田政権の、原発回帰の動きに呼応したものです。委員はこう発言しました。新たな制度は「科学的技術的な新知見に基づいた改変ではない」。さらに運転期間の制限を法律からなくすことは「安全側への改変ではない」と言い切りました。現行ルールが定められたのは東京電力福島弟1原発事故の教訓を踏まえ、安全にかかわる問題としてつくられたものです。老朽原発の原子炉は高エネルギーの中性子を浴び続け粘り強さを失いもろくなり、事故の危険が増すからです。委員の心配は政府の法解釈にも及びました。審査に時間がかかればかかるほど、その分だけ古い原発を将来動かすことになるというのです。現行制度では廃炉になるはずの原発があちこちで動く・・・。制度案に対する一般からの意見に「規制委の責任放棄だ」とありました。世界有数の地震・津波大国の日本。原発回帰への大転換は許されません。」(10日付しんぶん赤旗「潮流」より)福島弟1原発の事故処理の見通しも立たないのに、他の老朽原発を動かすことには納得が行きません。さて、ニュースでは関東地方で大雪の警報が出て、右往左往している様です。画面で見ると、積雪2〜3aほどなのに、驚くほど自然災害に弱いのですね。「写真は、前回の続きて白鳥の撮影した藤江地区の田んぼですが、首の周りが黒いのは今年生まれた幼鳥です」
白鳥を見て来ました。
2023/02/07
「ほっと」「貴重な1時間」「寒中の震える日々、夫が死去して10カ月過ぎた。夜は、孤独感になおさらに震える。そんな中、近くのヘルパーステーションの数名のヘルパーさんが交代で月曜日から土曜日の夕方、私宅を訪問してくださる。年末年始も、長い休みの中、1日は様子を見に来てくださった。私は男性の医師には話せない陰部のかゆみなどと彼女たちに話す。笑わないで聞いてくださる。「ありがとう」と私が言うと、ヘルパーの方が「ありがとう、いろいろ聞かせてもらって」と言ってくださる。そうして、1日がゆっくりと過ぎてゆく。1日の、1時間がどんなに貴重なものかをつくづく感じている。この介護の改悪がなされようとしている。これから日本は、ますます私のようなひとりぐらしの高齢者が増えてゆくのに、改悪はないでしょうと首相には強く言いたい。今年も頑張らなければと思う.(京都府城陽市 加藤 節子 84歳)」
私の母も健康が取り柄だったのですが、96歳にになって思うように動けなくなりました。市役所に相談し、介護認定を受け、要支援1との判定でした。早速、電動ベッドが利用出来ました。デイサービスも最初は拒んでいたのですが、昨日初めて利用しました。帰ってから印象を話すと、「お昼もおやつも出るねんで。午前中からお風呂に入れてもらい良かったわ」の感想でした。さて、今年も白鳥(コハクチョウ)が飛来していると聞き、早速見に行って来ました。数は減ったけれど、それでも約100羽はいるようで、田んぼの落ち穂を食べていました。「写真は、安曇川町四津川(藤江地区)の田んぼに集まった白鳥ですが、人馴れしてしているのか近づいても驚きません。まだまだ自然の豊かさを感じました」
一日があっという間に終わります。
2023/02/04
「読者の広場」
「介護に奮闘中 妻はニコニコ」(佐賀県・武雄市 向門政太郎(85歳)「妻が要介護1から要介護3になりました。介護費用も約2倍に。4年ぐらい前に、認知症は「早期発見、早期治療」が大切だと聞いて、市役所に相談し病院を紹介されたのが始まりです。22歳で結婚、これまで約60年、早出の時は朝5時に起きで朝食と昼の弁当、遅出は夜の10時帰宅でそれから夜食でした。今はディサービスやショートステイの時は、昼間はゆっくりできるのですが、朝出かける日や帰ってからは孤軍奮闘です。何もできなくなったとわびる妻には「元気な時は、家事のことは全部してくれていたので、これから私が、お迎えがくるまで恩返しをする番だ」と言うとニコニコします。」(4日付しんぶん赤旗「総合」欄より)我が家の母も、96歳になり健康が取り柄だったのに、この頃少し記憶が悪くなりました。それで市役所に相談すると、要支援1の認定が出ました。早速、電動ベッドを導入していただき、快適な生活を送っています。投書にあるように、85歳の夫が介護をするには限界があり、いわゆる老々介護になります。こんな家庭が増えていると、嫁さんが例を上げて話していました。かくゆう私の家も老々介護になり、苦笑しています。さて、節分も終わり、今日は暦の上では立春。一日の早さについて行けません。「写真は、まだ雪が残る近所の景色です」
2月が始まりました。
2023/02/01
「山と原野とスケッチと〜日高山脈と生きた画家 坂本直行〜」「”チョッコウさん”こと、農民画家・坂本直行(なおゆき、1906〜82年)。北海道十勝管内広尾町の開拓農家でした。筆者も同じ町に住み高校生の頃、彼を訪ねたことがあるのです。今回の番組でその作品と生涯にふれ胸が熱くなりました。南北150`に延びる日高山脈と原野。写生と登山が好きな直行は、そこに新天地を求めました。掘っ立て小屋での開墾生活。スケッチはは欠かしませんでした。日高山脈は描くには「横の線ばかりでどうも手のつけようもない」(本人の手記)ものでした。それが四季折々変化し、魅了されていきます。高知から渡道した弥太郎の次男として釧路で生まれました。あの龍馬の親類であると、筆者が知ったのは最近です。昨年、県立坂本龍馬記念館も特別展「龍馬と北の大地」で作品を展示。前田由紀枝学芸課長は、直道も「いごっそ」だ、と言っていたのが印象的です。彼は原野も野草にも愛情を注ぎました。それらの絵は菓子メーカーの包装紙になっています。絶筆も日高山脈でした。「上手にかけることよりも、それを失いたくない気持ちの方がはるかに大切だ」。”日本に残された最後の秘境”日高山脈を守ってほしいという強いメッセージです。(山本長春・ライター)」(1日付しんぶん赤旗「番組をみて」より)偶然、私もこの番組を見ていましたが、貧困な中で絵具を買うこともままならないとの話でした。父は釧路で財をなし、北大に進学し登山にのめり込みます。将来は「園芸」で身を立てたいと思うのですが、「世界恐慌」が重なり、父からの援助が期待できなくなり十勝に映り住むのです。それは壮絶な生活だったはずなのに、その様な事を感じさせない絵画でした。自分に出来るだろうかと思うと、考えさせられる事でした。さて、痛めていた右足も少し回復し、日常生活が出来るようになりました。まだまだ、本調子ではないのですが、つくづく健康の大切さを感じています。「写真は、雪をかぶった伊吹山と今朝の安曇川です」
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