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戦いすんで日が暮れて。
2024/10/28

「被爆者の体験私たちが次へ」「大阪・豊中市 田崎 由子(66歳)「11日の夕刻、日本被団協のノーベル平和賞受賞のニュース。ウクライナやガザの大惨事に何もできずウシロメタイ気持ちになっている昨今、胸が熱くなり涙が出た。70年近く「あらたな被爆者をつくるな」と体験の継承を続けてきた人々に思いをはせた。戦争の記憶は遠くなり、米国と戦争していたことさえ知らない大学生もいるという。「九条」の意味を解せぬ政治屋が福祉や教育に使われるべき税金を軍事費にする状況。「戦争を知らない世代」ができることは、あの戦争の被害と加害の歴史を次の世代へつないでいくことではないか。私も修学旅行に出かけた広島で、子どもたちと被爆者の語りを聞いた。真剣に耳を傾けた子どもたちが大人になって、次の世代に少しでも伝えてくれたら。継承し広げることが「微力だが無力ではない」行為だと思う。原発も含む「核」に敏感であることが、被爆者たちが届けた大切な伝言のひとつだと考える。」
「回復に2カ月職場の温かさ」「徳島・鳴門市 佐々木 弘子(77歳)」「夫の遺品整理を、根詰めてした結果、足にコードが引っかかり吹っ飛びました。骨折はまぬがれましたが、痛みがひどく身動きが取れない状態に。車いすから松葉づえ、つえと徐々に回復はしましたが2カ月も要しました。職場の仲間から「焦らずゆっくりと治してね」とあたたかい言葉をいただきました。一日も早く復帰したくて、頑張りました。この年齢で働ける職場があり、仲間がいて本当にありがたいです。」
(28日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 衆議院選も終わり、共産党にとっては厳しい結果でした。私は、ほとんど何もしなかったのですが、嫁さんは夜遅くまで頑張っていました。傍観者であった私が言うのもなんですが、共産党の考えが有権者に伝わらないのか考える必要がありそうです。「写真は、マキノ町から西浅井町へ奥琵琶湖をドライブした時の景色です」

魚釣りは坊主でした。
2024/10/23

「週末の夕食どきでした。突然つきあげてきた激しい揺れが、大地を切り裂きました。家や田畑は壊れ、道路は寸断し、土砂崩れで孤立した集落も。山あいの、のどかなくらしは一変しました。20年前のきょう、新潟県中越地方を中心に最大震度7の地震が襲いました。死者68人、住宅被害は12万棟以上、10万人を超える避難者。このときも被災者は苦悩していました。ふるさとに戻るか、移住するかと。深夜番組のNNNドキュメントがその後を追っていました。大きな被害をうけた旧山古志村の高台に集団移転してできた「天空の郷(さと)」。そこは復興のモデルとされ全国から視察団が訪れますが、高齢化と過疎化に歯止めはかかっていません。20年前の3分の1ほどに。震災に見舞われた過疎地域の現実は今の能登半島地震の姿と重なります。故郷への思いとともに生業(なりわい)や生活への不安。若い世代ほど将来への心配は募ります。中越地震後も震災や災害が相次ぐ列島。被災者おきざりの復旧、進まない復興は、これまで地方を切り捨て疲弊させてきた自民党政治があるからです。大都市集中、地方の財源や人員の削減、1次産業の軽視。地方を守る、地方創生をいいながら、くらしの保障や振興に背を向けてきました。能登の復興について、国の審議会は「集約的なまちづくり」の検討を提言。被災地からは、元に戻さなくてもいいというのか、と怒りの声があがっています。ふるさとが消えていく。そんな国にしていいのか。」(23日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私も大阪という大都会に住んでいましたが、安曇川に来て、田舎は田舎の良さがあることに気付きました。人と人の付き合い濃密で、物をもらったり、差し上げたりの付き合いがあります。さて、従弟から誘われて、昨日は福井県・美浜町まで釣りに出かけて来ました。水晶浜で投げ釣りをしましたが、狙いのキスはまったく反応がありませんでした。仕方なく丹生(にゅう)漁港の波とに移動し、サビキでアジを狙いました。ここでも、反応はなく、メンバーの一人がチャリコ(鯛の子ども)とサヨリの小さいものが釣れるだけでした。私も頑張りましたが、何も釣れず「坊主(ぼうず)」で帰って来ました。「写真は、22年に恩師と同窓生と訪れたマキノ町・メタセコイヤの並木です」

今朝は寒くなりました。
2024/10/20

「亡き夫は3回入院先で投票」「新潟市 小川 マキ(86歳)」「入院や入居中での投票をしたいと思われる方は多いと思います。事前に申し出ておけば病院や施設側は応えてくれます。夫は10年前前脳腫瘍を患い1年半の入院後、他界しました。その間、国政も含め3回選挙がありました。病院は院内に患者のために投票場も設けてくれましたが、夫は行くことができませんでした。病院に申し出ました。事務方から2人、看護師さん1人、そして私がベッドを囲み候補者名を言うと事務方が記録してくれる投票でした。2回目までは多少時間がかかっても言うことができました。3回目は頭の働きが落ちて、候補者名が思い出せません。哀願する目で私を見つめるのですが教えるわけにはいきません。1分ほど待って名前は出ず棄権となりました。比例もすぐに出ませんでしたが、共産党と言いました。夫のほっとした顔を見たとたん、私は周りを気にしながらも声をあげて泣きました。あの時の目と顔は忘れられません。」
「地域でくらす被災者と交流」「宮城県 夏 みか子(70歳)」「地域の集会所でサポートセンターの職員の援助のもと、月2回集会がもたれている。東日本大震災後にできた公営住宅に入居された人たちが孤立しないよう1回は身近な情報交換、ロコモ体操や脳トレ、ゲームで楽しく。もう1回は映画上映。ボランティアで知りあった入居さんと親しくなり、私もさそっていただける関係になった。先日は若い介護福祉士さんがディサービスの利用者さんと関りながら”その人らしさ”を考え成長していく「ケアニン」だった。国の介護保険サービスの改悪で訪問介護や介護施設が経営困難にあえいでいる。倒産や縮小も・・・。映画の時は「こんなやさしい人にみてもらいたいね」「どこの施設なんだろう」の声があがった。テレビをつけるたびに出てくる、自民党の面々に聞いてほしいものだと、怒りがわきあがってきた。」
(20日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 今朝は予想どうり寒くなり、長袖一枚では風邪を引きそうです。昨夜の7時ころから強風が吹くと予想され、湖西線は止まっています。どうしても京都方面に出かけなければならない人は大変です。こうなると予定を取りやめるかマイカーで行くしかありませんが、いつまでもこの様な状態は改善したければならないと思います。「写真は、秋の訪れを感じる近所の空き地の気配です」

総選挙が始まりましたね。
2024/10/16

「妻の施設入所介護改善望む」「佐賀・武雄市 向門 政太郎(86歳)」「介護保険制度が制定された時は、まだ現役で、どういうものか分からず「保険あって介護なし」などといって反対していました。私の妻はこれまでディサービス、ショートステイなど介護施設でお世話になっていましたが、とうとう現在は要介護3で入所しました。そこで、この制度の抜本改善を求めたく思います。介護保険の、訪問看護の基本報酬が4月から引き下げられ、事業者の4割近くが赤字で経営が成り立たないと言われています。ところが政府は、利用料の2割拡大やケアプランの有料化、要介護1、2の保健はずしなど改悪に向かっています。これはヘルパーさんなど職員さんによる身体介護や生活援助の大変な仕事を軽く見るものだと思います。これから政府は軍備増強ではなく介護保険制度の拡充や介護事業者の処遇改善に取り組むべきだと思いますが、みなさんはどう思われますか?」
「”種”まき5年読者がふえた」「和歌山・海南市 橋爪  美津子(81歳)」「今を去ること5年前になるだろうか、まだ私がつえを突かずに歩けていた頃、近所を歩いていると後ろから「今度は共産党やな」という声がしてきた。ふりむくと、Eさん。知り合いだけど、その場はあいさつをして通り過ぎた。そして5年後、退院してきて久しぶりにEさんに会った。親しく話をしていると、彼が高校時代の数学の教師が「共産党が好きだ」という人物だったらしい。その先生のことが忘れられない、という。思い切って日曜版の見本紙をお渡しすることにした。そして1カ月後、市議の岡義明さんと訪問すると、快く読者になってくださった。長いことかかったけれど、「まいた種は生える」と思ったことだった。」
(16日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
 総選挙が始まり、嫁さんは大忙しで、昨日はポスター貼り、今日は候補者のアナウンサーということらしいです。しばらくは、戦争のような毎日で、家族の団らんさえないよう日々が続きます。「写真は、笹の穂が光に輝き、サルスベリの花は終わり、秋に気配が感じられる自宅の景色です」

寒くて夜中に目を覚まします。
2024/10/12

「仏語の「娑婆(しゃば)」には煩悩から抜け出せない衆生が苦しみに堪えて生きている所という意味があります。転じて捕らわれの身となった人たちから見た、外の自由な世界を指すように。1980年に確定死刑囚となった袴田巌さんは、ラジオから流れてくる音をかみしめながら「心で娑婆とのつながり」を得ていたといいます。3畳ほどの独房で無実の叫びを胸に死が迫りくる日々。どれほど無念だったのか。逮捕からおよそ半世紀。10年前に釈放された袴田さんは最初、家の中を歩き回っていました。独房でそうしていたように。その後、少しずつ外に出て買い物や外食も。長年の拘禁で心身をむしっばまれながら、なんとか自由の世界に慣れようと。証拠をれつ造してまで罪をかぶせ、ひとりの人生を奪った警察や検察の非道。それを省みるどころか再審で無罪が決まっても検事総長は「到底承服できない」とする談話を。これには弁護団も、まだ犯人扱いで「名誉棄損になりかねない」と怒りをあらわに。晴れて袴田さんの無罪が確定した日。えん罪被害をうけた大川原化工機の社長らが国と都に損害賠償を求めた訴訟の控訴審がありました。かかわった警察官は、捜査の進め方について「問題があった」と証言。ねつ造の構図は今も。袴田さんの無罪をかちとった姉のひで子さんは「権力とたたかうには、あきらめてはいかん。何年かかろうとそれしかない」と言い切ります。巌にはせめて長生きさせたい、自由を味わせたいーその言葉をなんと聞く。」(12日付けしんぶん赤旗「潮流」より)検事総長の発言は、決して許されるものではなく、反省と謝罪を求めたいものです。昨夜、嬉しいニュースが流れて来ましたが、「日本被団協」に「ノーベル平和賞」とのこと。世界で唯一の被爆国・日本の「核廃絶」の運動が認められました。日本政府も早く批准して、世界をリードしていく責務があります。さて、今日から「クライマックス」が始まりますが、横浜に勝ち越し、巨人に勝ち越し、ふたたび日本一になれるように頑張って欲しいものです。「写真は、ミシガンにはスクリューがなく外輪船(水車みたいなもの)で動いています」

病院通いはつらいものです。
2024/10/08

「みずみずしく、つやつやとした炊き上がり。水分がたっぷりとふくまれ、食感もやわらかな新米の季節です。収穫されたばかりの新鮮な米は、つやつや風味、粘りや香りが最高の状態に。今年は米不足も相まって入荷が待ち望まれていました。しかし、ようやく店の棚に並んだかと思えば例年よりも値が高い。近くのスーパーでは5`3千円台がずらり。資材の高騰や酷暑で米価の上昇はしばらく続きそうです。ただし、米はまだ茶わん1杯40円ほど。他の食品に比べて割安とはいえ、収まらない値上げの波が食欲の秋を襲います。10月は今年最多の2900品目余りが。背景には異常気象などによる原材料高に加え、人手不足に伴う物流費や人件費の上昇があるといいます。物価高の影響は内閣府の意識調査にも。「経済的なゆとりと見通しが持てない」と答えた人は過去最多となり、日本では悪い方向に向かっている分野を聞いても「物価」が約7割とトップでした。政府に求める対策を世論に問えば、つねに一番は物価高。今日の深刻な生活苦は自然現象ではなく、すべて自民党の経済失政の結果ではないか。国会で志位さんが石庭首相に迫りました。これまでの失政を、あなたは引き継ぐつもりなのかと。賃金や年金が物価高に追いつかず、生活が苦しいと訴える人びとの悲痛。他方で空前の富を蓄えている大企業や大金持ち。自民党政治による人災から、くらしを救い経済を立て直す政治を。その道筋を示しているのは日本共産党だけです。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)石庭首相は、ここにきて右往左往していて、言う事がコロコロ変わります。ある人が言うには「石庭は首相になれただけで満足で、長くは続かないやろう」との事です。それでも、選挙は間違い行われるので油断してはいけません。さて、日々気温が下がり、そろそろ半袖から長袖に替える必要がありそうです。「写真は、2年前に乗船した浜大津港に停泊中のミシガンです。」

急に寒くなりましたね
2024/10/04

「「ホームレスになるか、それとも死んだ方がいいかな」。がんで倒れた父親の看病で介護離職した男性がかつて語っていました。父親の死去後、年金収入がなくなり家賃は滞納、水光熱費も支払い不能に。当時40代の男性。がんばっても新たな職になかなか就けなかった・・・。介護離職後、ホームレス状態に陥った人も。離職後は職を転々としながら貯金を取り崩して暮らしていました。貯金の底をつくと、夜逃げ同然のように公園に。離職前までは日本橋の老舗百貨店に勤め、年収は1100万円ほどだったといいます。年間の介護離職者数は10万人前後にも及びます。背景には「保険あって介護なし」になりつつある介護保険制度が。「自助・共助・公助が社会保障の基本」と言って、社会保障費を削減しつづけてきた自民党政治。世代間対立をあおりながら、とくに高齢者分野を標的に。長生きするなと言わんばかりの政治は、高齢者だけでなく現役世代をも疲弊させてきました。父親が亡くなった後、収入が断たれた40代男性。わらにもすがる思いで「生活相談 政党」とネット検索し、共産党の地方議員とつながって「光が見えた」。生活保護を利用しながらハローワークに通っていました。高齢になっても人権と尊厳が尊重される社会にー。共産党は新しい提言を発表しました。将来を展望する青年たちも希望がもてるものだと歓迎の声をあげています。憲法25条が規定する「健康で文化的な生活を営む権利」を保障するのは政治の責任です。」(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私たちの世代は、介護保険料が年金から天引きされていますが、その額は恐ろしいほどです。しかし、かって父親が老健施設に入所したころ、利用料は月額17万円もかかりました。わずか2年半で500万円が消えてなくなりました。それを知っているからこそ、自分の貯金では無理だと知り、自宅で介護を受けるしかありません。「保険あって介護なし」を実感する出来事でした。さて、気温が急激に下がり、夜に窓を開けて眠ると、寒くて目が覚めるほどになりました。こんなに急に気温が下がると、体がついて行かず睡眠不足になっています。「写真は、久しぶりに訪れた安曇川町・四津川地区にある三和漁港の夕焼け時の景色です」

今日から10月ですね。
2024/10/01

「北欧出身のヨハンさん(仮名)は、母国の大学で日本語を学び始めたころ、講師からこうすすめられました。「日本語を勉強するなら、新聞を読むといい。そのうち一紙は『赤旗』を、もう一紙はどこでもいい」。講師は「大手新聞は政権与党への忖度(そんたく)があるから、どこも似たようなものに。真実を知りたいなら『赤旗』を」と。ヨハンさんはネットで「しんぶん赤旗」を見つけ、読みはじめました。「赤旗」と他紙との違いがわかってきました。例えば刑法改正報道。不同意性交等罪の導入時、右派系のメディアには”男性が冤罪(えんざい)で大変になる”という角度の記事が。対して「赤旗」は被害者に寄り添い加害者を裁く立場で一貫していました。フラワーデモやColabo(コラボ)の活動を継続的に掲載。「社会的に弱い立場の人たちの視点に立っている」。強く感じた点です。「桜を見る会」追及や学術会議問題でJCJの各賞を受賞した「赤旗」。「批判的な目線があるから、いい記事が書ける」。だから「やっぱり裏金問題ですよね。ほかのメディアより1年も前から報道していた」と、今回のJCJ大賞受賞を心から喜びます。「単に事件を報じるのではなく、なぜ起きたのか、誰が推進しているのかを書いています」と”推し”を語るヨハンさん。20年のJCPサポーターまつりに母国からネットで参加。昨年は現地・東京でリアルに参加が実現しました。「日本には批判的なメディアが必要です。若い人たちにぜひ「赤旗」を読んでほしい」」(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)あの暑かった9月も終り、気力的にも体力的にも楽になりそうです。これからは、美味しい果物や野菜が出回るので楽しみです。「写真は、高島の泉でバーベキューを楽しむ人々です」

袴田さん再審無罪。
2024/09/27

「どんな生き方がひろがっていたであろうか。連れ合いや家族との穏やかな日々、元ボクサーの経験を生かしたやりがい・・・。失った歳月の長さと重さを思わずにはいられません。30歳で一家4人を殺害した罪で逮捕されてから58年、死刑確定から44年、ようやく袴田巌さんに無罪判決が出ました。支援者らは喜びに包まれる一方で、ひとりの人生が丸ごと奪われた怒りを口々に。判決は捜査機関による証拠のねつ造があったと指摘。非人道的な取り調べて強要した自白調書や、犯行時の着衣とされた5点の衣類などを証拠ねつ造と認定しました。警察や検察、司法のあり方まで断罪するように。死刑執行の恐怖、ふるえるほどの悔しさと絶望は巌さんの心と体をむしばみ、釈放から10年となる今も意思の疎通が難しい状態が続きます。こうしたえん罪がなぜ後を絶たないのか。「今でも大勢の方が苦しんでいる。巌だけが助かればいいという問題ではない」。裁判をたたかってきた姉の袴田ひで子さんは再審法の改定を訴えます。巌さんの再審と釈放を認めた元裁判官も「このままではえん罪の被害者は救われない」と、証拠不開示や開かずの扉といわれる再審制度の不備を。獄中にとらわれていたとき、巌さんは手紙にこうつづりました。「裁判で無実であったことの事実が認められても、すでにその時は再審請求を重ねたあとであり、人生を純粋にやり直すにはあまりにも遅すぎた」。権力に翻弄(ほんろう)され、もう取り戻せない生き方を思いながら。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私は「国民救援会」に入っているので、この事件のニュースは逐一知っていました。見つかった着衣が、袴田さんの体型と合わず、着ることが困難だったことです。証拠がなければ作れば良いとの警察のいい加減さが怖いです。さて、夜は涼しくなり、窓を開けて眠ると寒いくらいになりました。こうなると、あの暑かった日々が懐かしく感じます。「写真は、「高島の泉」で「さかなつかみ」をする子どもたちです」

お墓参りに行って来ました。
2024/09/23

「訪問介護には駐車場必要?」「千葉・市原市 井口 佐代子(69歳)」「私は2年半くらい前に千葉・習志野市から引っ越してきて、要介護の妹の介護保険の事業所を探しました。その時に紹介されたケアマネから、駐車場がないとどこからも来てくれないから駐車場を用意してくださいといわれました。わが家には車が無いので、駐車場は借りていませんでした。でもヘルパーにも看護師にも来てもらわないと困るので借りました。しかし本当に利用者が駐車場を用意しなければいけないのか疑問に感じて、共産党の駒形やす子市議に相談。「疑問は市役所に聞いてみよう」と一緒に行ってくれました。高齢者支援課の担当の方が「本来は介護報酬に交通費も含まれている」ということでした。あとは路上駐車するために、事業所が警察に許可申請をするおともできると言っていました。市はケアマネに啓発文書を出すそうです。」
「反戦の初心は今も変わらず」「北海道・深川市 北名 照美(80歳)」「終戦79年の8月、テレビや新聞は”二度と繰り返してはならない戦争”の報道で埋め尽くされた。優れた内容のものも少なかった。だが、あの戦争にあらがった党の人びとを掘り起こしたものは見当たらなかったように思う。私は大学卒間近な時、ある友人に「君の考えや行動は学生としては認めるが社会に出たらそうはいかない」と進言された。卒業後、郷里に戻り親に勘当されたが、党の専従となった。一方、心の片隅に、教育も報道もすべてが軍国主義一色の時代に、党はどうして”侵略戦争”を見抜いたのか、との思いがあった。数年後にその答えを見いだし、スッキリしたことを思い出す。私は今も年の割には元気で「赤旗」配達をはじめ、党活動をしている。悔いのない人生である。」
(23日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
ここ安曇川では、駐車禁止の場所も少なく介護事業所の車が停車出来ないとは聞いたことがありません。さて、21日(土)は大阪・大東市まで墓参りに行き、その後有志のメンバーの6名と恩師でミニ同窓会をやりました。前回が8月12日だったので、わずか1カ月しか経っていないのに久しぶりに会った気分です。その後、阪神百貨店に立ち寄り、塩サケ、じゃこ、はんぺんを買い求めました。せっかくなので、タイガースショップで来年のカレンダーを探しましたが、まだ発売されていませんでした。夕方の午後5時になりましたので、お初天神にある居酒屋で一杯やり帰路に着きました。「写真は、22日(日)に行われた、民商共済会の「高島の泉」でのバーベキュー大会です」

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