寒かったり暖かかったりですね。
2024/11/27
「「世界中の戦争をなくそう!すべての人が手をとり合って飢えと貧困をなくそう」をサブスローガンに開かれた日本高齢者大会。お楽しみは、夜のうたごえ交流会です。司会者が最初に選んだのは、秋の歌です。童謡「里の秋」を全員で。♪ああ父さんよ ご無事でと 今夜も母さんと祈ります…元の歌は太平洋戦争が勃発した1941年作の「星月夜」です。”ご無事で”は”ご武運を”でした。亡くなった詩人・谷川俊太郎作詞の歌もリクエストが。「死んだ男の残したものは」。4番は戦争の本質を突く歌詞で改めてすごい。♪死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球…平和ひとつ残せなかった。うたごえの良さは知らない人でも一緒に歌って仲よくなれること。テーブルで隣同士になったのは「学生生活は京都で過ごした」と話す東海市で学習塾を経営する竹内雅貴さん。「ニセ左翼による学園の暴力支配に命がけで。大変でしたが、いつもたたかいのなかに歌がありました。歌と一緒に思い出がつながっています」。トヨタで働いてきた平均年齢が77歳のトリオ・G3s(ジイさんズ)は「心さわぐ青春の歌」を歌いました。♪ぼくらにゃ一つの仕事があるだけ 自由の国ひらく仕事が一つ。リーダーの酒井俊一さんは「若い頃と違う受け止めで歌います。死ぬまで生きるんだと。生きるとはたたかいです。最後のがんばりで世の中を変える意気込みです」。同感。今度は、若い世代と肩組み歌いたい。」(27日付けしんぶん赤旗「潮流」より)日本高齢者大会と言う会合がいつからあるのか知りませんが、楽しそうな大会のようです。さて、急に嫁さんが「明日、タイヤ交換するからよろしく」と言われ、頑張ってタイヤを倉庫から出しました。それにしても、力が無くなり四苦八苦しました。「写真は、昨年に行った湯村温泉の景色です」
EOネットからDOKOMOになりました。
2024/11/23
「おれたちを人間として扱うように要求するー。大手自動車メーカーで働く4人の非正規行員は、ある出来事をきっかけに労働組合をつくります。労働者は企業の利益のために生きているんじゃないと。太田愛さんの小説『未明の砦(とりで)』は現代の労働問題を主軸におきました。使い捨ての働かせ方に疑問を抱き環境を変えようと立ち上がった若者たち。それに対して共謀罪を適用しようとする公安や巧妙なわなを仕掛ける会社。その群像劇をスリリングに描いています。ドラマ「相棒」などの脚本も手がけた太田さんの新聞連載を単行本にしたもので、労働関係者をはじめ幅広い層に読まれています。小説から戦後の労働法制の変遷とともに、世界から立ち遅れたこの国の実態がうかびあがってきます。派遣事業や非正規雇用の拡大、長時間労働や過労死、派遣切りや雇止め、いっこうに上がらない賃金、疲れ果て心を病んで自死する労働者・・・。現実に突き動かされるようにこの物語を書いたといいます。生き延びるためだけに人生を切り売りし、助けを求める先もわからずに悩み苦しむ若者たち。実際に労組の加入率は過去最低の16・3%になっています。運動を分断する動きも続くなかで労働者の連帯をつくることは大きな課題に。おととい結成35周年をむかえた全労連は、仲間を増やすことを今年の運動方針にもかかげています。働く喜びとともに人間らしく生きられる社会を。きょうは勤労感謝の日です。」(23日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私が、初めて就職した沖電気では、ユニオンだったので管理職以外は全員、組合員だったので本人の意思の確認はありませんでした。毎年3月になれば「ストライキ」も行われましたし、その損失分は組合が補填してくれました。それでも、まだまだ会社の御用組合と言われ、執行部は会社の息のかかった人物がなりました。今は、そんな組合ですらなく、自分の身は誰が守ってくれるのでしょうか?さて、長年使ってきた「EOネット」から「ⅮOKOMOネット」に変わりました。変更するのに色々特典があると言われ、騙された気分で工事をしました。」「写真は、湯村温泉の夢千代の銅像の前で記念撮影です」
北海道や東北では大雪ですね。
2024/11/20
「有料ホームに国は丸投げか」「東京都 山田 美代(69歳)」「こんなに介護保険がひどくなっているなんて。姉が脳梗塞の後遺症で、ひとり暮らしが難しいため、リハビリテーション病院を退院後、老健施設にお世話になっています。その後のリハビリをきちんとしてくれる所を探していますが、ほとんど有料老人ホーム。国は介護を民間に丸投げしています。もうけの対象になっているのではと感じるホームもありました。人間の尊厳について教育されているのでしょうか。管理料の中に事務人件費が入っていてびっくり。少なくない金額です。どうして国は介護現場に必要な人件費を出そうとしないのでしょうか。老人医療費が無料だったときがありました。教育無償化と同じように、入院中の給食費の無料化を求める運動も一緒に進めなくては、と痛感しました。一人一人の命は平等。武器では人の命は守れない、とつくづく感じる日々です。」
「心配性なのにミスが増えた」「福岡・福津市 藤田 文代(75歳)」「近頃、ミスが多くなってきた。年金振込日に出掛け、家賃として、息子の口座へ入金するために通帳は預かっているのだが、息子の分は持たずに出掛けてしまった。またまたやってしまった。「風呂が沸いているハズなのにー」。何度もボタンを押す、消えるーと繰り返し、1時間以上。えっ修理か?どうしょう。あきらめ夕方にふとガスボンベの元に行くと赤く点灯している。緊急停止してガスが出ない。愛猫が上に乗り遊んだようだ。私の性分「念には念を入れる」心配性が、おろそかになってトホホ!」
(20日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
11月の前半はあんなに暖かかったのに、急に寒くなり北海道や東北では積雪があり、車が立ち往生していました。この冬の12月〜2月の長期予報では、厳冬になるとの予想ですが、そうなると早めのタイヤ交換が必要です。来年の1月には、高島市の市長・市議選があり雪が降らないことを祈るのみです。「写真は、昨年に行った湯村温泉の冬景色です」
今年はイチョウの葉が黄色くなりません。
2024/11/17
「ことし保育園の年長クラスになった息子も、あと4カ月で小学生に。今から学校生活にウキウキする姿をみるにつけ、ある調査の不安がよぎりました。2023年度の小中学生の不登校人数を文科省が発表しました。それによると、前年度より4万7千人増加し、34万人を超えて過去最多に。背景にはなにがあるのか。過去最多は、いじめや暴力行為の件数も。根底には過度の競争や管理教育などの学校現場への押し付けがあります。児童・生徒だけでなく教職員に対しても教員評価システムなどによって学校全体の管理が強化され、安心して楽しく過ごせる場所ではなくなってきています。「大人が決めたカリキュラムを押し付けるのではなく、子どもの時間を取り戻すことが大切」。不登校を支援を行うフリースペースを長年運営してきた西野博之さんが著書にそう記しています。かれらは学校に行かない「困った子」ではなく「困っている子」だと。学校に行かないと社会性が身につかいないのでは、と心配する声も。しかし当事者たちは「不登校だからこそできる経験もたくさんある」。それをSNSで表現する。「不登校生動画甲子園」にはさまざまな思いやエールが寄せられて。不登校の広がりは、学校や社会が子どもにとって息苦しい場になっていることの表れです。安心して学べ生活できる学校づくり、なによりも子どもが通いたくなる学校にするためにどうするのか=。不安をなくし、ふくらむ希望にこたえるのは、大人たちの責任です。」
(17日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
私たちが子どもの頃、そんなに厳しい生活ではなく、伸び伸びと過ごしていた気がします。最近は、幼稚園の時代から進学塾に通い、まさに子どもらしい子どもがいなくなりました。さて、毎年この時期になると、神社の大イチョウが色づき、お店の前が黄色くなるのですが、今年はまだその気配がありません。例年に比べ、2週間は遅れているような気がします。「写真は、安曇川町・四津川地区にある三和漁港の黄昏の風景です」
メタセコイヤの並木の紅葉はまだ出した。
2024/11/14
「大手メディア仕事せいや!」「大阪・松原市 佐藤 嘉明(77歳)」「私は高校卒の中途採用で新聞社に入り、印刷工から校閲、地方版編集で定年を迎えました。取材部門の苦労は一応知ってるつもりです。自公過半数割れの最大の要因は、「赤旗」の「自民党派閥のパーティーでの裏金づくり」と「裏金非公認候補への2000万円支給」の2大スクープだったことはマスメディアも承知のはず。彼らから見れば小さな政党機関紙に後れを取ったことを恥じるべきと、新聞労働者OBとして思います。「もっとまじめに仕事せいや!」」
「英在住の娘が投じた1票」「和歌山県 谷口 優子(81歳)」「選挙の結果に気落ちしていたところにイギリスで結婚した娘から久しぶりに連絡がありました。日本の大使館に行ったので共産党に投票したよと。すごくうれしくなりました。住まいはロンドンから2時間以上のところです。マイナス思考になっていた私に、信じられる道なら貫き通していくべき、死ぬ時は悔い無く死ねるとの言葉。心から納得し、娘に感謝。気持ちが明るくなりました。」
(14日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
どういう風の吹き回しか、嫁さんがおばあちゃん(私の母)を連れて泊りに行こうと提案しました。遠い距離は無理なので、マキノ町・八王子荘(旧白谷温泉)に1泊2日で出かけました。家から30分の距離で、ふだんは日帰り入浴で来るのですが、泊まるとなるとしっくりと来ません。お風呂に入り、夕食を頂き、午後9時には寝ることにしました。翌朝も、朝食前にお風呂に入り、午前9時にはチェックアウト。途中、メタセコイヤの並木を通るのですが、すでに観光客で渋滞が起きていました。残念ながら、温暖化のせいか、まだ木の葉はしっかりと残っていて、絶景とはなりませんでした。「写真は、安曇川町・四津川地区にある三和漁港の夕暮れです」
トランプ氏が勝ちましたね・
2024/11/10
「町内バス旅行元気で来年も」「福岡・大牟田市 渡部 幸弘(67歳)」「10月20日、年に1度の町内バス旅行(環境学習&親睦バス旅行)に行きました。行先は、@サッポロビール九州日田工場A昼食3吉野ヶ里歴史公園でした。行きは町民を各バス停で拾い、全員そろっていざ高速へ。1年ぶりの顔なじみの存在に安堵(あんど)しながら車中にて談笑が続き、工場ではガイド無し、利き酒無し。昼食、食べ飲み放題に笑顔を取り戻し、秋晴れの古代村のすがすがしい空気を吸って、無事帰着。そこで一句「バス旅行年に一度の生存確認」。お疲れ様!来年、元気で会いましょう!」
「楽じゃないよ仕事を始めた」「大阪・豊中市 辻 生子(66歳)」「人生何歳まで生きられるんだろうか、と時々考える。要らない物は処分しなければ、と元気な日は、行動できる。しんどい日は、処分どころか自分に甘く、まあいいか、となる。母が亡くなってからは、あまり里帰りもしなくなった。小・中学校の同窓生や家の名義変更でしか帰らない。大阪に出てきて、47年。この10月からまた仕事を始めた。立ち仕事だから楽じゃない。年金では足りない。またふるさとに帰りたいんだろうな、心が。」
(10日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
11月も中旬に入りましたが、朝夕はともかく日中は、まだまだ気温が高く冬を感じられません。地球の気温が、産業革命前の1・5度上昇以内に押さえようとしていますが、達成は無理な様で、現状なら今世紀末には最大3・1度上昇すると指摘されています。果たして、子や孫の時代は、どうなっているのか心配でもあります。「写真は、西浅井町・菅浦地区から上った、つづらお峠から見た琵琶湖周辺の景色です」
今朝は急に寒くなりました。
2024/11/07
「これも欠陥カリーフの充電」「北海道・旭川市 橋本 晶子(68歳)」「9月29日付本紙に「日産リーフ 欠陥か」の記事がありました。5年前まで2年間、日産の電気自動車リーフを利用していました。記事のような欠陥はありませんでした。。が、夏でも200`以上走行可能と表示されたことはありません。当時はフル充電で280`走行可能(運転状況や環境の条件あり)で購入したのに。特にバッテリーの充電性能が下がる冬の氷点下の日は30分の急速充電をしても走行距離は100`程度としか表示されず、数日ごとに充電に行かなければなりませんでした。充電待ちの人がいれば寒い中、30分は待たねばならず、急ぐ時など困ることもありました。自分の判断で購入したとはいえ、走行距離は気温に左右されるし、280`走行は実際に難しいということを購入時にきちんと説明してほしかったです。それで、わずか2年で手放しました。」
「平和祈念館と731部隊の謝罪」「兵庫・西宮市 上田 幸子(76歳)」「9月17日付け「特報」は、中国で人体実験による細菌兵器開発をしていた731部隊のこと。元731部隊少年隊員だった清水秀男さん(94歳)が、中国へ謝罪の旅へ・・・と載っていた。昨年5月、長野県飯田市内にも平和祈念間ができたと知り行ったが、市の公共施設のビルの一角に資料館の展示コーナーがあり、731部隊のものが並んでいた。なんで731部隊の資料?と疑問に思っていたが、清水さんとともに謝罪の旅に中国に行かれた、飯田平和非祈念間を考える会のメンバーが尽力されたことがわかった。日本各地に”平和を考える運動”があり、励まされる。」
(7日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
昨夜は寒かったので、エアコンを入れようとしたら、リモコンが見つかりません。嫁さんに聞くと、「布団に入れば寒くないやろう」「まだまだ、電気代がもったいない」と言います。しかし、あまりにも寒いのでお願いしたら「少しの間だけやで」とリモコンは渡してくれず、電源だけ入れて部屋から出て行きました。「俺も落ちぶれたものやな」と思いながら眠りにつきました。「写真は、西浅井町・菅浦地区ですが、ここから先は道がありませんので、琵琶湖で一番の難所です」
世間は3連休ですね。
2024/11/04
「父が他界7年残映は永遠に」「岐阜・八百津町 細江 隆一(公務員 56歳)」「父が他界して7年目を迎えた。思えば、亡くなった当時の記憶が少しずつ薄らいでいる。同時に悲しみや寂しさも。「悲しみも寂しさも時間が全てを解決してくれる」とはよく言ったものだ。父の部屋は、母が毎日掃除をしている。おかげで、亡くなった当時のままきれいに残されている。机上には広げられたままの本とノート。ペンや消しゴムまで転がっている。本棚の本も趣味のカメラも棚にそのまま。「お父さんがいつ戻ってもいいようにしておきたいの」当初はそんな母の言葉を否定していた私も、その気持ちがわかるようになった。戻ってこないとわかっているからこそ、思い出とともに父の残映を残しておきたいのだろう。帰省するたびに父の部屋を目にし、父の他界を思い出す。きっと母が生きている間はずっと続くのだろう。それもまた良しである。」
「夫の入院中もよく頑張った」「鹿児島・姶良市 仲山 幸代(68歳)」「夫がひざの手術のため入院して、3週間ほどたった10月半ば。全介助の娘を一人で見ることができるか、とても不安でした。最初の頃はやはり勝手がわからずバタバタして時間ばかりがたちましたが、最近はやっと時間配分ができるようになり、少し余裕も出てきました。それでも、これまで2人で分担していたものを1人でやるのはやはり負担になっています。夜はグッタリとなって、すぐ寝てしまいます。夫の退院予定日までやっと半分来た、これまで頑張ったなと思っていた矢先、夫が着替えようとしてこけて傷口が開いて再縫合との連絡が入り、ガクッときました。幸いに入院が1週間ほど延びるだけなので、少しホッとしています。つい最近、私は朝のごみ出しの時にこけて手足にすり傷をつくりました。気をつけなきゃなと気を引き締めています。」
(4日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
世間は3連休で、あちこちに出かける人の姿があります。私は関係なく店を開けていますが、「あぶら」を売りに来るお客もなく退屈しながら過ごしています。「写真は、西浅井町・菅浦から見た竹生島の光景です」
今日から11月ですね。
2024/11/01
「ほっと」「長年使ってきたザックの奥から小石が出てきた。使い始めて三十数年、ずっと私の山行きに付き合ってくれた。私の体になじんだ赤いザックは、海外登山にも連れて行った。山の道具は年々進化し、使い勝手のいいものが出ている。昨年、新しいザックを買ったが、どうもなじめず、いつもの赤いザックで山に行くと、「惜しいの?」と仲間に笑われた。古くても体になじんだザックがいかに背負いやすいか。ただ、背負いベルトがよれてクタクタ。色あせて汗と汚れが染み込み、見た目も良くない。やはり、卒業の時か。しかし、ザックを洗濯してきれいにすると、処分するのが惜しくなった。そうだ、お買い物用にジャガイモもタマネギも背負える。赤いザックにもうひと踏ん張りしてもらおう。今までの山行きに感謝して。」
(埼玉県川口市 佐々木加代子 75歳)
(1日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)
あっという間に10月も終り、はや11月になりました。昨夜は、寒くて寝付けずエアコンの暖房を入れました。うとうとしたころに、嫁さんが部屋に入って来て、「エアコンを使うのは早いで!」と言われ、冬布団を出して来ました。先日、いつも行く「かばたかん(食堂)」の支配人に会計を済ませると、「良いお正月を!」と言ったら、同席のお客さんが笑いました。でも、考えてみると、今年も後2カ月、そう先のことではないはずです。「写真は、西浅井町にある「丸小船の館」に展示されている「丸小船」です」
戦いすんで日が暮れて。
2024/10/28
「被爆者の体験私たちが次へ」「大阪・豊中市 田崎 由子(66歳)「11日の夕刻、日本被団協のノーベル平和賞受賞のニュース。ウクライナやガザの大惨事に何もできずウシロメタイ気持ちになっている昨今、胸が熱くなり涙が出た。70年近く「あらたな被爆者をつくるな」と体験の継承を続けてきた人々に思いをはせた。戦争の記憶は遠くなり、米国と戦争していたことさえ知らない大学生もいるという。「九条」の意味を解せぬ政治屋が福祉や教育に使われるべき税金を軍事費にする状況。「戦争を知らない世代」ができることは、あの戦争の被害と加害の歴史を次の世代へつないでいくことではないか。私も修学旅行に出かけた広島で、子どもたちと被爆者の語りを聞いた。真剣に耳を傾けた子どもたちが大人になって、次の世代に少しでも伝えてくれたら。継承し広げることが「微力だが無力ではない」行為だと思う。原発も含む「核」に敏感であることが、被爆者たちが届けた大切な伝言のひとつだと考える。」
「回復に2カ月職場の温かさ」「徳島・鳴門市 佐々木 弘子(77歳)」「夫の遺品整理を、根詰めてした結果、足にコードが引っかかり吹っ飛びました。骨折はまぬがれましたが、痛みがひどく身動きが取れない状態に。車いすから松葉づえ、つえと徐々に回復はしましたが2カ月も要しました。職場の仲間から「焦らずゆっくりと治してね」とあたたかい言葉をいただきました。一日も早く復帰したくて、頑張りました。この年齢で働ける職場があり、仲間がいて本当にありがたいです。」
(28日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
衆議院選も終わり、共産党にとっては厳しい結果でした。私は、ほとんど何もしなかったのですが、嫁さんは夜遅くまで頑張っていました。傍観者であった私が言うのもなんですが、共産党の考えが有権者に伝わらないのか考える必要がありそうです。「写真は、マキノ町から西浅井町へ奥琵琶湖をドライブした時の景色です」
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