新年明けましておめでとうございます。
2025/01/04
「年末年始、テレビでは多くのバラエティー特番が放送されます。楽しみな番組もありますが、なかには笑えないものも。芸能人が大きな穴に落とされるなど痛みや恐怖に苦しむ人を周囲が嘲笑する場面は、特に嫌な気持ちになります。以前は受け流していたモヤモヤに、はて?と疑問を持ち、意見を言うことが増えました。結婚後は女性が男性の姓に変えることを当然の前提として話されることも、その一つです。婚姻時に同姓にするか別姓にするかを選べる「選択的夫婦別姓制度」。導入を求める声が年々高まっています。総選挙で自民・公明の与党が少数となり、実現するチャンスが生まれています。法務省の法制審議会が同制度の導入を答申し、法案が準備されたのは30年近く前のことです。実現を阻み続けるのは、自民党を中心とした古い家族観に固執する人たち。「家族の一体感を損なう」と主張します。夫が一家の代表で妻はその「付属物」ー男性優位を当然とする価値観にしがみつき、切実な願いを妨害しているのです。両親が別姓の20代の人の言葉が印象的でした。「名字が違っても大切な家族。なぜ他人が『子どもがかわいそう』と決めつけるのか。早く法律ができて、家族で姓が違うことも当たり前になればいいのに」。夫婦で同じ姓を選ぶことを否定するわけではありません。望むのは希望者が別姓を選べるようになること。自分を大切に、他者の人権も尊重し、多様な生き方が認められる社会へ。さらに前進させる年にしたい。」
(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
3日間の「お正月休み」を頂き、ほぼ毎晩10時に寝て充分な睡眠が取れました。誰かが訪ねて来る予定もなく、寂しく過ごしました。明日は、京都に出て「前進座」の観劇をして来ます。その後は買い物でもしようかなと思って居ます。「写真は、昨年の敦賀・鞠山海釣り公園の景色ですが,早々と釣りをする姿がありました」
みなさん、良い年をお迎え下さい。
2024/12/31
昨日は、安曇川駅発10時22分の新快速大阪行き(祝日ダイヤ)で大阪・大東市まで墓参りに行きました。途中の新大阪駅で、大阪東線に乗り換え、放出駅で学研都市線に乗り鴻池新田駅に午前12時に着きました。今年の墓参りもこれが最後で、4回目となりました。30日にもかかわらず、まだまだ花が供えられず、全体の4分の1ほどでした。鴻池新田駅でS先生と待ち合わせして昼食を供にしました。11月の同窓会以来ですので、約1カ月ぶりですが、近況をおききすることが出来ました。話によると、最近肺がんが見つかり放射線治療を年明けからするそうです。お元気な姿に似合わず、病状が進行しているようです。来年は米寿(88歳)になるので、早い時期にお祝いをしょうと思いました。先生と駅でお別れし、新開地駅まで戻り、阪神タイガースショップまでカレンダーを買いに立ち寄りました。昨年は売り切れていたのですが、今年は増産したのか沢山のカレンダーが残っていました。その後、お初天神まで移動し、夫婦でささやかな忘年会をしました。個々の名物は「天神サワー」という飲み物で、1杯380円で楽しめます。帰りの事を考えて、午後4時30分には店を後にしました。午後5時発の新快速米原行きに乗り、途中京都駅で乗り換え、安曇川駅に午後7時ちょうどに帰って来ました。今日は、簡単な掃除を午後からやり、午後6時には帰宅する予定です。今年1年間、色々とお付き合い下さりありがとうございます。みなさまも良い年をお迎えください。新年は4日より営業しますので、よろしくお願いいたします。「写真は、昨年のマキノ町の道の駅追坂峠の写真です」
世間は正月休みですね。
2024/12/29
「こどもの ひとこと」
◇ろうそく同じでも◇
家の仏壇でろうそくに火をつけてお参りしていると、4歳の孫娘が隣に来て来て手を合わせ、大きな声で言いました。「ハピバースデーツー」。びっくり。
(えいこババ 77歳 北海道)
◇東京のおばさんは◇
まもなく3歳になろうとしていた孫(1年余前のこと)。時折ビデオ通話をかわす東京在住の叔母がなぜやってこないのかと聞く。私が「飛行機に乗ってこないといけないから、すぐには来れないよ」と言うと、「じゃあ、歩いてくればいいよね」。
(しずか 79歳 沖縄県)
◇絵本の次は子守歌◇
2歳の孫を寝かしつけるために、絵本を読み、つぎに一緒に寝転んで子守歌を歌い始めた私に一言。「静かにしてくれる?わかちゃん、寝れないから」
(長谷部富子 東京都)
◇下校中の子どもが◇
「おコメがたいへん」と子どもらの声。耳をすますと、家の掲示板の「赤旗写真ニュース」を読みあげる下校中の黄帽子の子ら。
(高崎香司子 81歳 富山県)
◇打ち上げ式で突然◇
総選挙の最終日。午後8時、打ち上げ式が拍手と歓声の中終了。候補者が応援にかけつけた方々と握手。突然大きな声が。「共産党大好きです。がんばってください」。お父さんと一緒にかけつけてくれた小学6年生だ。感動。
(片寄隆司 75歳 福島県)
(29日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
気が付けば今年も、後3日となりましたが、すでに正月休みなのか街は静かです。これから、お店の大掃除をして、今年1年の汚れを払います。明日は、恒例の大阪まで墓参りに出かけて、その後ささやかな忘年会をする予定です。私は、長い休みが苦手で、早く正月が終わらないかなと思っています。「写真は、今年の1月のお店の周りの景色です」
クリスマスも過ぎて残りわずかです。
2024/12/26
「「ミスター赤ヘル」と呼ばれたプロ野球広島カープ・山本浩二さんの兄・宏さんが被爆体験を語り広げています。先日、地元の東京・江戸川区で日本共産党まんなか世代後援会が開いた学習会もその一つ。同区の被爆者団体「親江会」の会長ですが、証言を始めたのは6年ほど前。それまでは戦後生まれの弟・浩二さんにも口を閉ざしてきました。親江会に関わっていた妻との死別を機に「みんな本当のことを知らんのだから言わんといけん」と。講演した夜は今もうなされます。自分と同世代の主人公を描いた漫画「はだしのゲン」は「つらくて、よう読まん」と手にしませんでした。ある時、浩二さんから届いたエールに励まされました。「『二度とあってはならない』との思いで行動する兄を尊敬しています」「大切なことは被爆地から『核による脅しも、使用も許さない』と訴えること」(「読売」昨年5月16日付け)。兄弟の志が重なりました。近年、広島、長崎のスポーツ関係者が反核平和の発信を強めています。広島カープは2008年から「ピースナイター」を開催。長崎市出身のサッカー元日本代表キャプテン、吉田麻也選手は22年、ワールドカップ出場を報告する式典でこう語りました。「世界で唯一の被爆国として、もっと声を大きくして世界に訴えていかなければいけない」。来年は戦後・被爆80年。被爆者の証言を聞き、語り継ぎ、さまざまな分野で発言することで、日本被団協のノ^ベル平和賞受賞がさらに輝く年にしたい。」
(26日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
わが家のクリスマスは、特別な料理もなく、ケーキもショートケーキを一つずつ食べました。世間では賑やかにやっていると思いますが、まるでお通夜もようでした。さて、今年も残すところ6日となりました。私の行事としては、大阪に墓参りに行くことだけとなり、後は大掃除が待っているだけです。「写真は、鳥取砂丘の帰り道、出石そばに立ち寄りました」
今日は冬至ですね。
2024/12/21
「平均4561円、昨年比3・4%の値上がりーイチゴなどの価格高騰が原因とか。今年もクリスマスケーキを前に、二の足を踏むことになりそうです。そのケーキ作りに欠かせない牛乳や乳製品を支える酪農が、いま深刻な事態に直面しています。先日のテレビ朝日「報道ステーション」。千葉県で約80頭の乳牛を飼育する西岡美代子さんは「えさ代は、13年くらい前は1`40円くらいでした。昔より倍にはなっている」といいます。借金して急場をしのごうとしても「返すお金がない」。15年前は全国で2万戸以上あった酪農家は、ことし10月時点で9960戸(6割が赤字)。背景には牛乳離れという事情も。酪農家を助けるためにも一番利益がある「生入を消費してほしい」と西岡さん。一般社団法人「Jミルク」の調査で給食を利用する児童がいる親1225人に問うと、学校給食のない休日や夏休みなどの長期休暇中も、こどもに牛乳を飲んでほしいと「とても思う」29%、「思う」は43%にも。「国産の食べ物で次世代を育てたい」と涙ながらに訴えていた西岡さんの言葉は重い。今のままで国産の安全な食べ物を食べ続けることができるのか。酪農や農業,漁業は単なる職種の一つではなく、国産の食料を安定的に保障できるかどうかに直結する問題です。値上げにつながる消費者への価格転嫁でなく、生産者の所得を保障する「最低所得補償」の仕組みがいよいよ必要です。安心して国産牛乳を飲み続けるためにも。」
(21日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
牛乳で思い出しましたが、私もほとんど飲まなくなり、わが家では和食が中心なためです。月に1〜2度ほど「パン食」の日には飲みますが、いつも牛乳が余っています。さて、今日は冬至ですが、1年で一番日が短い日です。これから、また日が長くなると思うだけで、春が近づいて来ると思うとなんとなくウキウキします。「写真は、昨年に訪れた鳥取砂丘の景色です」
カニは高くて買えません。
2024/12/18
「危機感覚える「手取り」議論」「福島県 佐藤 玲子(69歳)」「先日テレビ番組「羽鳥慎一モーニングショー!」で「手取りが増えるなら住民サービス低下はやむえない」と考えている人が5割を超える世論調査が示され「自己責任論」に毒されてしまっているのでは?と危機感を覚えました。住民サービスの基本は「健康で文化的な生活」を保障した憲法25条に基づくはず。みんな等しく健やかに生を全うするためにあると思っています。日本のどこに住んでも、病気になっても、働けなくなっても、最低限度(この言い方もすきではないですが)の生活を保障するものが、住民サービスだと思います。光熱費や水道料金などにサービス低下は直結します!生活保護でなくても、医療費負担が増えて日々影響を実感しています。「一度も選挙に行ったことがない」という人に「政治は税金の使い方」「生活の問題は政治のあり方に」と訴えてきましたが、ますますそういう思いを強くしました。」
「住所尋ねない手紙の長い旅」「さいたま市 伊藤 隆(84歳)」「8月に北海道へ旅をして、たくさんの写真を撮ってきました。その写真を11月13日に友達に封書手紙で千葉県我孫子市に出しました。ところが「あて所に尋ねあたりません」と12月1日に戻って来ました。なんと18日かかっていたのです。11月から110円で長い旅をしていたようです。友達には新住所にすぐ送りました。値上げしても届くのに時間がかかり、遅くなっているようです。手紙は人と人の心を結ぶものです。心・気持ちを早く届ける郵便局になってほしいです。」
(18日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
昨日、従弟が京都からやって来て、「カニが食べたい!」と言うので越前海岸まで出かけました。いつも立ち寄る「おさかなやさん」で見ましたが、紅ズワイガニで4800円、ズワイガニは小さなもので8000円もしました。10月に来た時は、紅ズワイガニで2800円でしたから、ものすごい値上がりです。「どうする?」と訊いたら、「年金生活者には無理な金額やな」と言って買わずに帰りました。「あんなに高いのなら、肉でも買った方がましやな」との会話になり、少し寂しい思いをしました。「写真は、昨年の12月に訪れた京都駅前の光景です」
今晩から雪の予報です。
2024/12/14
「私の3大ニュース」
「配達と投稿で交流が広がる」「札幌市 前田希左人(66歳)」「弟1は、「赤旗」日曜版をアパートの大家さんに購読してもらったことです。5月のことでした。引っ越して7年たち毎日「しんぶん赤旗」を配達している姿に共感してくれました。弟2は、10月30日付本欄に投稿が乗りました。「赤旗」を37年配達していることを書きました。弟3は、その投稿を読んだ同じ障害者で、東京の人と縁があり、メール友達になり、通信を送ってあげたりしています。党員だった両親も他界して、1人暮らしで一人っ子の私は、来年も元気に「赤旗」を配達していきます。」
「念願の広島へ国境を超えた涙」「京都・宇治市 児玉 久(72歳)」「「いつかは行かねば」と思い続けていた広島の平和記念公園を妻と2人で訪ねました。原爆ドーム、爆心地にもっとも近い学校で10人の教職員と約400人の児童が亡くなった本川小学校平和資料館(被爆校舎)、広島平和記念資料館、等々。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したのも理由かとも思いますが、海外からたくさんの方々が来られていたのは驚きでした。資料館では行列の半分ほども。大混雑の中で展示を見て涙する外国の女性。妻ももらい泣きしていました。この涙が世界平和をもたらしてくれることを願った旅でした。」
(14日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
今日の午後4時頃から平地でも雪が降るとの予報で、慌ててタイヤの交換をしました。交換と言っても「車屋さん」に頼むのですが、昨年から値上げになり、タイヤ4本で2800円(税込み3080円)もします。あるお客さんは、「タイヤ交換を4回もすると、新しいタイヤが買えるで!」と言われ、「1年中冬タイヤで過ごしている」との話でした。前は2000円(税込み2200円)だったので、考える必要がありそうです。「写真は、初雪が降って白くなった車のボディーです」
少し遅い高島時雨の季節です。
2024/12/11
「10年前、関西電力大飯原発(福井県)の運転差し止め訴訟で裁判長として差し止めを命じた樋口英明さんが近著に書いています。「原発を止めなければならないという思いは、判決当時よりも現在の方が更に強くなった」。東京電力福島第1原発事故が示したように、原発は人が管理し続けない限り事故になり、事故が起きれば被害の大きさは想像を絶するー。樋口さんは、この本質を知れば知るほど止めなければ・・・との思いだといいます。今年は東北電力女川原発2号機(宮城県)、中国電力島根原発2号機(松江市)が相次いで再稼働しました。島根原発は県庁所在地にある唯一の原発で県庁から直線で10`未満。事故が起きた場合の避難計画の策定が義務づけられた30`圏内に島根、鳥取両県の6市に約45万人が暮らします。再稼働した原発では最多。計画では5`圏内の住民がまず避難。30`圏内の住民は屋内退避し、放射線量の状況をみて避難します。避難先は広島、岡山にまで。能登半島地震は地盤の隆起、土砂崩れ、家屋の倒壊、道路の寸断など甚大な被害をもたらしました。屋内退避一つをとっても、家屋の倒壊が相次ぐと期待できず、避難の困難さを浮き彫りにしました。「(事故を想定して)避難計画を立て、ヨウ素剤の準備までして・・・決死隊まで準備しておかなければならない発電方法とは一体何だろうか」。樋口さんは、クリーンな発電方法はいくらでもあるのだからと、原発の稼働の是非について国民的な議論を呼びかけます。」
(11日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
能登半島地震のような被害が出てしまうと、屋内退避はもちろんのこと、県外に避難するのも難しいでしょう。書類上はつじつまが合っていれば許可される原発の再稼働。何かあった時は、助からないと考えていたほうが良さそうです。さて、いつもなら11月に始まる「高島時雨」が、12月になってから始まりました。ほぼ毎日、雨が降る時間があり、晴れていたのに急に雨が降るといった状態です。「写真は、藤江地区に来たコハクチョウですが、4羽だけオオハクチョウがいますが探してみて下さい」
今年も白鳥がやって来ました。
2024/12/08
「傷痕残る珠洲市へ」「10月初旬、能登半島地震と豪雨災害で壊滅的な被害を受けた石川・珠洲市を初めて訪れた。珠洲市には以前より懇意にしている珠洲焼の陶芸家がいる。地震発生から追い打ちをかけるように豪雨災害があり、生々しい傷痕があるため、足を踏み入れることをためらっていた。その陶芸家の方の「ぜひ公費解体される前のありのままの姿を目に焼き付けてほしい」との言葉に背中を押されて、珠洲市に行くことを決断した。能登半島の大動脈である「のと里山海道」は道路の陥没箇所や継ぎはぎが多く、さらに奥能登に至る道は迂回(うかい)路だらけであった。オフロードモデルのバイクで通常の倍以上の時間をかけて、陶芸家のご自宅を訪ねた。久しぶりの再会で無事を喜び合い、後世に今回の災害を語り継ぐために、被災した家屋を陶芸家の方の紹介を受けてまわった。復興の槌音(つちおと)ははるか遠く、津波や豪雨災害によるがれきの山、1階部分がつぶされて崩れた家屋など、災害の甚大さを物語っていた。私の住む富山西部でも地盤沈下や家屋、ブロック塀の崩落など多くの被害があったが、想像を絶するような光景であった。地震や豪雨災害の恐ろしさの証言者、語り部として、後世に語り継いでいきたいとの思いを強くした。」「富山県 上野祐太朗 33歳」
(8日付けしんぶん赤旗「読者の広場」より)
能登半島地震から、まもなく1年が来ると言うのに、テレビの画面から見えるのは、復興には程遠い景色です。道が狭いとか、高齢化で動ける人が少ないとか言いますが、政府の本気度が足りないと思います。さて、今年もコハクチョウが安曇川にもやって来て、その数は70羽を超えました。人間が近づいても逃げる気配はなく、すっかり懐いて?います。「写真は、安曇川町・藤江地区に飛来したコハクチョウですが、珍しくオオハクチョウも4羽いました」
同窓会は楽しかった。
2024/12/04
「日本は水の国です。その豊かな恵みは、国のかたちや文化をつくり、生命をはぐくんできました。国交省の資料によると、水道の水をそのまま飲める国は世界にわずか11カ国。いつでも安心して飲める水は私たちのくらしを支えてきました。もし、そこに健康被害をもたらすものが入っていたら・・・。底知れぬ不安と深刻な影響。それがPFAS問題です。先週、水道水の全国調査が公表されました。国が目安とするPFASの暫定目標値をこえる例は直近ではないものの、過去には上回る検出が14の水道事業でありました。しかも汚染源は特定されずに。水をはじく、焦げつかない、油がにじまない。幅広い製品で使われてきた有機フッ素化合物のPFAS.壊れにくい性質で永遠に消えない化学物質といわれます。しかし初めて商業化した米国では早くから危険性が指摘され、WHO(世界保健機関)も昨年その一部に発がん性があると認めました。対策や規制が強化されている欧米に比べ、検査・報告の法的義務もない日本は大きく立ち遅れています。各地の住民や自治体の調査で、高濃度のPFASが米軍基地や工場などの周辺で検出されているのに手をこまねいています。石庭首相はこの問題について水道事業者への検査・公表の義務付けなどの対策を、来春をめどに取りまとめる考えを示しました。遅きに失したとはいえ住民らの運動が政府を動かしてします。国も自治体も企業も責任をとらない。大切な水を守るのは自分たちだと。」
(4日付けしんぶん赤旗「潮流」より)
いつも思うのですが、製品を作る前に有害性があるか否かを調査・検査しないのでしょうか?利便性ばかり追求すると、後でとんでもない「しっぺかえし」を受けます。さて、30日に大阪・大東市で行われた「同窓会」は24名の参加で行われました。もう皆さんは、良いおじいちゃん・おばあちゃんになっているのですが、昨日まで一緒にいたかのような気がします。7歳から15歳までの9年間でしたが、人生の入り口だったのに、出口に近い年齢でも昔話に話はつきません。「写真は、同窓会で盛り上がる参加者の面々ですが、皆さん年を取りましたね」
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