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今日は定休日です。
2023/06/25

「有吉佐和子さんの小説『恍惚(こうこつ)の人』が世に出たのは1972年でした。すでに日本は高齢化社会へ。認知症をテーマにした本はベストセラーとなり、これまで家族の問題とされてきた介護に光があてられました。それから半世紀。認知症をめぐるとりくみはどれほど進んできたか。認知症の行方不明者は増え続け、昨年は1万8千人余りと過去最多に。統計をとり始めた2012年のおよそ2倍になっています。さらに行方不明者のうち491人が死亡。現状は深刻、社会全体で変えなければならないと専門家は指摘します。声かけなどのサポートとともに行政がとりくみを強める必要性を。先の国会では認知症の人が尊厳を守り希望をもって暮らせるよう国や自治体の施策をもとめた「認知症基本法」が成立しました。すべての認知症の人が自らの意思で日常生活や社会生活を営める、社会のあらゆる分野の活動に参画する機会を確保する。そんな理念を掲げて。「共生社会の実現を推進する」との文言が付けられた法律。当事者は「認知症への差別や偏見が低減し『認知症の人』ではなく『ひとりの人』としてかかわることが当たり前になる社会を願う」と。国をあげてとりくむ課題という岸田首相。ならば軍拡に血道をあげているときか。2年後には高齢者の約2割、700万人に達するとされる認知症の人をどう支えるのか。いったい人間の最後とは、どういうものなのだろうかー。『恍惚の人』が問いかけたもの。それは人の生き方です。」(25日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私も、この700万にの中に含まれているので、不安でもあります。さて、日曜日に店を開けていても来客はほとんどなく、定休日を水曜日から日曜日に変更しました。今日も店長日記を書き終えたら、午後から休もうと思います。夕べはお風呂に入っていると、ヤモリ君が一生懸命餌を取っているので、電気を消さずに様子を見ました。ヤモリ君も立派に生きているので、同じ仲間として感じています。「写真は、京都交通科学館で見た各種の車両ですが、ディーゼル特急くろしおは、紀勢線の非電化区間を走りました」

カエルの合唱が聞こえて来ます。
2023/06/22

「わがまち ふるさと」「宮城県登米市」「宮城県登米(とめ)市は岩手県境に位置し、旧登米郡と、本吉郡の1町の9町でつくられました。北上山地をかかえ、広大な山林は全面積の30%を占めます。北上川の清流と西部にはラムサール条約に登録された伊豆沼など、湖沼群が市の境界線の一部になっている水の里でもあります。稲作が基幹産業、畜産経営や野菜生産も盛んで近年の農業産出額は東北3位の穀倉地帯です。仙台藩の一門として栄えた「登米町(とよままち)」は、北上川を利用した舟運による米穀の集散地の一つで、「米山」「米谷」「米川」など「米」の字の地名が多くあります。「みやぎの明治村」と呼ばれ、教育資料館(国重要文化財・旧登米高等尋常小学校)や警察資料館(県重文・旧登米警察署庁舎)の洋風建築物、廃藩置県時に置かれた水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)など、明治をしのばせます。近年では連続ドラマ「おかえりモネ」で、風車や森林組合の現場が舞台として使われました。今年に入り上映された「シン・仮面ライダー」の生みの親、漫画家・石ノ森章太郎の生誕地でもあります。生家を当時のまま「ふるさと記念館」として公開しています。「仙台に来たら、ぜひ、よってけらいん」(鈴木実市議)」(22日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)私も東北地方の事はほとんど知りませんので、将来訪ねられたらと思います。(叶うかな?)さて、いつもの事ですが、田植えが終わり夜になるとカエルの合唱が聞こえて来ます。欲」新聞の記事で、両生類の卵は、紫外線の影響でふかする数が減っていると聞きました。そうすると、カエルの数も減りつつあるのでしょうね。「写真は、昨年、孫と訪ねた京都鉄道科学館での記念ですが、特急月光は新大阪〜博多間を走った寝台特急です。昼行の特急みどりと交互運転されました。また特急雷鳥は旧国鉄時代の愛称で現在はサンダーバードになっています」

昨夜のぶどうは美味しかった。
2023/06/19

「8月の味覚といえばサクランボ。赤いかれんな実に、かめば弾ける食感と程よい甘さが人気です・イランからヨーロッパにかけて自生し、有史以前からから食べられていました。栽培の歴史も古く、紀元前のヨーロッパにさかのぼるといわれています。日本に入ってきたのは明治時代になってから。今年の収穫量は平年並みだとか。一昨年は4月の低温が影響して25年ぶりの不作でしたが、回復しました。なんと500円硬貨大の大粒のブランド品種も本格的に出回るそうです。そうでなくとも高価な果物。おいそれと口に入るかどうか。太宰治の短編にも登場します。題名はズバリ「桜桃」。サクランボの別名です。家庭のささやかなく幸福を願いながら、身勝手な行動を取る主人公。家を飛び出し、飲み屋へ。そこでサクランボが出されます。幼い3人のわが子に食べさせたいとは思っても、自分で食べてしまう・・・。主人公の心の葛藤を示したのが桜桃でした。人びとの喜怒哀楽を交えて身近に存在していることがわかります。そんなサクランボにも受難の時代が。TBSラジオの「今晩は吉永小百合です」の中で語られました(5月21日)。吉永さんがひとこと。戦時中に「不要不急の果物」の木としてサクランボが伐採されたこともあったと明かします。「そんなことが二度とないように、穏やかな心で味わえますように」と吉永さん。同感です。いま、岸田政権が急速に進める大軍拡に思いが及びます。衣食住が制限される時代の到来はごめんです。」(19日付けしんぶん赤旗「潮流」より)我が家では、おばあちゃんが毎年、山形の農民組合からサクランボとリンゴが届きます。きっかけは、赤旗に台風で大きな被害を受けたとの記事でした。それは可哀そうとの思いからです。さて、昨夜近所の小川に出かけたら、たった一匹ですがホタルを見つけました。「今年も生まれて来たか!「一匹でも頑張りや」と思わず声をかけました。そういえば、我が家に「ヤモリ君」も戻って来て、風呂場や台所の窓で働いています。そうそう、昨夜の夕食のデザートにぶどうが出ました。これが私の好きな「デラウエア」でしたので、嬉しかったです。「写真は、越前市にある「しきぶ温泉湯楽里」ですが、白くまと紫式部の展示物です」

自衛隊に入ろう、入ろう。
2023/06/16

「成長できる舞台ー。自衛隊募集のホームページをみると、こんな文言が飛び込んできます。いくつかの職種に分かれる中に自衛官候補生があります。応募資格は18歳から32歳。3か月間、基礎的な教育や訓練に専従し終了すると任期制自衛官になれます。将来どんな状況にあっても役立つさまざまな経験を積むことができ、安定した生活と処遇が保障されることも。岐阜市の射撃訓練中に発砲し、3人を死傷させた18歳の男はこの春に入隊した候補生でした。「教官に叱られた」「教官を狙った」などと供述しているそうですが、詳しい事情はまだわかっていません。今回が最後の実弾訓練を終える予定だったといいます。入隊からこの間に何があったのか。教育係の隊員との関係はどうだったのか。陸上自衛隊に任せるのではなく、第三者による透明な調査で国民に明らかにする必要があるでしょう。陸自は1984年にも山口駐屯地で乱射事件を起こしています。同僚4人を死傷させた自衛官は過去に入隊しながら無断欠勤で停職処分となり辞職。それを隠して再入隊していました。ずさんな採用とともにきぉう教育や訓練の改善が求められてきました。いまだにパワハラやセクハラが絶えない自衛隊。不祥事や事故も相次ぐ中で軍拡がすすめられようとしています。人に銃口が向けられた恐怖におののく周辺住民。「武器を扱う組織として、決してあってはならない」行為をどう防ぐのか、試されているのは、自衛隊だけではありません。」(16日付けしんぶん赤旗「潮流」より)さて、今日の題名ですが、1969年に流行った高田渡氏の歌詞です。この後、「自衛隊に入れば花と散る」と続きます。ユーチューブでも見ることが出来ますのでご覧ください。さて、入院生活から解放されて、日々新鮮な生活を送っています。足の動きが遅いので歯がゆい時もありますが、焦らず生きて行こうと思います。「写真は、敦賀市、鞠山海釣り公園のなつかしい景色です」

50日ぶりに退院しました。
2023/06/13

入院していると、今までの生活を反省する事が多くなりました。まず食事ですが、好き嫌いが激しく、嫌いな物(主に魚料理)には手も付けませんでした。おまけに野菜類はほとんど無視で、摂取量もゼロにに近かったです。晩酌の量は、焼酎の水割り3杯、ウイスキーの水割り3杯は普通に飲んでいました。さらに運動不足は否定出来ず、万歩計を付けて計っても、せいぜい1000歩でした。とにかく、生活のすべてが「不健康」でしたので、「あ〜しておけば良かった」「こ〜してれば良かった」と反省ばかりです。まだ、足の傷が万全でないのですが、徐々に近所を散歩し体力を取り戻したいと思っております。まあ、そんなこんなで、時間の上を通り過ぎた入院でしたが、大いなる反省と、将来への展望が持てる機会になりました。「写真は、敦賀・鞠山海釣り公園ですが、本日の釣果を見せてもらいました」

50日ぶりに退院しました。
2023/06/10

私の場合、足に受けた傷口が治れば退院と言われていましたが、これが思うように良くならず長引く原因になりました。入院も40日を過ぎると、毎日の治療は抗生物質の点滴が、一日4回あるだだけで、後は午前と午後のリハビリだけです。リハリビの指導員とも顔見知りになり、特に阪神ファンの方とは、毎日昨日は勝った、今日はどうだろうとの会話となりました。リハビリと言っても、厳しい訓練はなく廊下の端から端まで2往復する程度でした。退院間際には、病院の周囲を徒歩で歩く訓練が始まり、入院以来50日ぶりに玄関とその周辺の景色が目に入りました。「あ〜ぁ、そうそうこの景色だったな!」と感動しました。6月2日と退院日を言われてから1週間、その一日、一日の長かったことは最後まで忘れません。退院日には、嫁さんと息子が迎えに来てくれ、主治医からのカンファレンスを受けました。さて、退院となると、お世話になった看護師の方や、リハビリでお世話になつた指導員との別れが、少し寂しく感じました。こうして、退院はしたのですが、体重は78`=66`と12`の減少で、お風呂に入ると、まさにガリガリの体になっていました。「これは、まず体重を増やして、体力をつけないと!」「少々、食べ過ぎても良いのではないか?」と自己採点しています。退院から、今日で1週間になりましたが、少しは気力も体力も戻り、大夫歩く事も、自然に動けるようになりました。みなさんも、健康に留意して、何か異常感じたら病院に行って下さいね。「写真は、久しぶりに訪れた小浜新港です」

A50日ぶりに退院しました。
2023/06/07

入信した経験がある方なら分かると思いますが、一日が単調な生活で、朝、昼、夕の食事を摂る以外はすることがありません。私の場合は、1日に4回の点滴が主な治療で、ほとんどが抗生物質でした。ベッドに横になる時間が増えると、自分でも気付かないほど体力の低下が見られ、歩行するのが困難になり、車椅子が移動の味方になりました。それでも気分は悪くないので、早く退院したいと毎日願うようになりました。同じ病室の患者さんは、2泊3日程度の検査・手術で退院される方が多いので、30日位が過ぎると部屋の主のような存在になりました。病室の窓からは、名神高速・京都東インターに向かう車や、下りて来る車を一日見るののが生活の中心になりました。「あそこには、娑婆の生活があるけど、自分はいつになったら、あそこに戻れるかな?」と考える事が多くなりました。入院して30日を過ぎた頃に、リハビリが本格的に始まり、立って歩く訓練や、手押し車での歩行訓練が始まりました。リハビリの成果か、初めて2週間目には、自力で歩行できるようになりましたが、まだまだ50bが限界でした。想像以上に体力が落ち、そこまでの距離が遠く離れた場所のような気がしました。それでも、気力で頑張り徐々に歩けるようになりました。入院してから、足のカテーテルを受けて、血流が良くなり、さらに心臓のカテーテルも受けました。病院側が考えていた検査も終わり、後は足の傷の治りが大きな焦点になりました。「写真は、三方町にある「きららの湯」に行った時の写真です」

@50日ぶりに退院しました。
2023/06/04

4月8日(水)の朝、起きると右足全体が腫れ、歩行も困難な状態になりました。やむえず、紹介を受けたマキノ病院に診察を受け、即入院となりました。まさか、すぐに入院するとは想定外で、お客さんへの連絡や、得意先への連絡で大混乱しました。せいぜい10日位の入院のつもりが、4月15日(水)にマキノ病院では難しいと言われ、京都市山科区にある音羽病院に転院しました。この音羽病院は、カテーテル治療に実績があり、血流の悪くなった右足に、その治療をすることになりました。ただ、小指に菌が回っているとの事で、初めて切除する旨伝えられました。「え〜っ、何とかならないの!」と叫びましたが、「リスクは早く少なくした方が良い」と先生に言われ、しぶしぶ同意しました。今までの人生で入院経験がなかったので、相当なプレシャーでした。毎日、朝は午前5時には目が覚め、テレビが唯一の友達でした。朝食が終わると、点滴が始まり、昼食後も点滴があり、多い日は一日4回の点滴がありました。足の指の外科手術は、入院して1週間目の6月18日に行われ、私が知らないうちに小指とお別れしました。術後は、毎日外科医の先生が見回りに来られ、様子を見ては、「薬を変えてみようか?」「そうしますかね」と相談されていました。入院が長引いた理由の一つが、指の傷口がなかなか塞がらなかったためと思われます。(つづく)」「写真は、お隣さんの庭に咲いた「やまぼうし」の花です」

桜の花も散りかけました。
2023/04/04

「わが家の菜園自慢」「根もおいしいホウレンソウ」「今、ホウレンソウが食べ頃を迎えている。種まきが遅かったため(昨年の11月上旬)、冬の寒さで成長が遅く、やっと収穫できるようになった。この時期のホウレンソウは、根も甘くておいいしい。寒さに耐えるため糖分を根に蓄えているらしい。ホウレンソウを育てるのは難しい。何回も失敗した。発芽して成長するにつれて、葉が黄色くなって枯れてしまう。「石灰をたっぷりまかないとダメ。酸性土壌を嫌う」とのこと。そこで苦土石灰をたっぷりまいて耕した。そして、種をまいた後、貝殻石灰も散布した。さらに、雑草防除と保温を兼ねて、五つの穴が開いている黒マルチを使っている。種を3粒くらいまいて育てる。適当な間隔があるので間引きすることなく育てることができる。以前は黒マルチを使わないで育てていたので、雑草取りと間引き作業が大変だった。今では、苦土石灰と黒マルチを使って育てるのに成功している。(大阪府和泉市 山田 勝吉 72歳)(4日付けしんぶん赤旗「くらし・家庭」欄より)ここ安曇川でも、家庭菜園が流行っていますが、私はほとんど興味がありません。聞けば、買った方が安くつくと聞いて、何故そこまでこだわるのでしょうか?もっとも、魚釣りに行って、その餌代の方が魚を買うより高くなるのと同じ心境かもしれません。さて、満開の桜の花も風が吹くと散り始めています。今年も、ゆっくり花見をすることもなく、春が遠のいて行きます。「写真は、散り始めた八田川(家の裏の川)の桜です」

早くも4月に入りました。
2023/04/01

「「新しい御本、新しい鞄(かばん)に。新しい葉つぱ、新しい枝に。新しいお日さま、新しい空に。新しい四月、うれしい四月。」。金子みすゞの詩「四月」です。入学や進級、入社に新生活。うきうきわくわくのときめきを感じさせます。明治期の途中から年度替わりとなった4月。春の訪れとともに日常が変化することへの期待や不安が詩に込められてきました。きょうからはどうか。くらしを取り巻く状況は相変わらず厳しい。食料品の値上げは2月に続き5千品目をこえ、宅配便や車タイヤの価格も上昇。物価高はおさまる気配もなく、値上げラッシュの春に失望感さえ漂います。光熱費の値上がりも生活を苦しめているなか、電力の小売り自由化に伴い大手が談合し、公正な競争を制限したとして巨額の課徴金を。公取委は収益の確保や電気料金の引き下げを防ぐねらいがあったとみています。ときめくどころか、閉そく感や停滞感が覆う社会。人びとが心の底に抱く変化への渇望をぶつけられる場が、いま各地でたたかわれている選挙では。政治を変え、経済を変え、くらしを変えるー。希望へのわきたつ思いを託した、それぞれの投票が新たな世界を開いていきます。今年は金子みすゞの生誕120年にあたります。「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」と詠んだみすゞは、小さきものや名もなきものにやさしい目をむけてきました。めぐる季節に、万人の幸せをねがいながら。」(1日付けしんぶん赤旗「潮流」より)年のせいか4月になっても、うきうきした感情はありませんが、桜の花の美しさは心を動かします。昨夜のニュースで、JR北海道の留萌線の一部が廃止になり、140年近くの営業に終止符をうったとか。このままでは、北海道から鉄道が無くなってしまうのではないかと思います。「写真は、安曇川町・田中(煤田地区)の堤に咲く桜です」

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