ようやく雪が止みました。
2022/01/23
「「映画を通じて、娘自身が『私はここにいるよ』とみんなに伝えたんだな、と思うのです」。各地で上映が始まったドキュメンタリー映画「帆花(ほのか)」。生後すぐに「脳死に近い状態」と医師に言われた西村帆花さんの成長と、家族の姿を追っています。脳波がないと言われながらも、反応がある娘との間での葛藤。理佐さんと秀勝さん夫婦はその成長を信じて、ヘルパーとともにケアする日々を送ります。映画に登場するのは、3歳から小学校入学前までの帆花さん。家族の日常を描く72分はあっという間です。「機械につながれた生まれたてのわが子を見た時、どう受け止めていいかわからなかった」と理佐さん。ネガティブな感情が生まれたとしたら「なぜ?」と考え続けてくれればと願います。「でもね、未熟だった自分を突きつけられるようで、映画を見るのはちょっとつらい」とも。手探り状態のケア、閉ざされた2人きりの空間で行き詰まっていたからです。帆花さんが学校に通うようになってからはお互いの世界が広がり、息苦しさに見舞われることはほとんどなくなりました。「責任が取れないから」。そんな理由で支援を断られるたびに「責任はケアを頼む私たち夫婦にあるのに」とやりきれない気持ちに。「同じ方向を向いて、私たちと一緒に生きてくれる支援者がどれだけ得られるか。それが帆花の命を左右するんです」。そっと握った帆花さんの手の温かさ。「私はここで生きてるよ」。そんなささやきが聞こえてきました。(23日付しんぶん赤旗「潮流」より)帆花さんの状況は、医師の診断を超えた生命力があると言うことでしょうか?このような話は、あちらこちらであって医師も合理的な結論を出せないでいます。さて、安曇川では何日も降り続いた雪が止んで、日常生活が戻って来ました。今頃になって手足や肩が痛み出しシップ薬を毎晩塗るようになりました。「写真は、久しぶりに見た伊吹山が朝日に輝き、福井県境の山々も美しく見えました」
今日も雪が降っています。
2022/01/20
「わがまち ふるさと」「岐阜県・高山市」「岐阜県高山市のたたかいの歴史といえば、江戸時代におきた大原騒動が市民の中で語り継がれています。数年前にも高山の市民劇場が、大原騒動の主役となった本郷村善九郎(ほんごうむら・ぜんくろう)の芝居を見せてくれました。大原騒動は、国轄地・飛騨の国の代官、大原彦四郎の検地と重税政策に対する農民一揆で、20年弱におよぶたたかいでした。農民の最後の戦いの場となった飛騨一之宮水無(みなし)神社に、農民が何千人と集結したことが歴史で語られています。このたたかいを記念して石碑が建てられています。1774年、大原騒動の首謀者として獄門に処せられた19歳の善九郎の、妻に宛てた手紙が残されているので紹介します。「私は極刑に処せられるだろう。私は覚悟ができているので、私のことはあきらめてください。この世ではもう会うことはできませんが、死ぬ前に一度会えたので心残りはありません」高山市の農業も暮らしも自民党政治の結果、大きな打撃を受けています。こうしたたたかいの歴史は市民の心に今も生き続けています。(上嶋希代子市議)」(20日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)飛騨高山には、何度も訪れているのですが、こんな歴史があったなんて知りませんでした。市内の名所などは訪ねる事があるのですが、この様な歴史を学ぶ場所があると良いですね。さて、安曇川では、ほぼ毎日雪が降っていて、一日に5〜10cmほど積もります。今年の冬は厳冬だとは聞いていたのですが、こう毎日降ると元気も出ず、ほぼあきらめのムードです。「写真は、久しぶりに昼間見た京都タワーと、喫茶店で嫁さんが頼んだカフェオーレに描かれた花の絵です」
前進座「一万石の恋」を観ました。
2022/01/17
「雪の後の牛久(うしく)沼は満々と水をたたえ、さざ波がきらめいていました。部落差別がテーマーの小説『橋のない川』で知られる作家・住井すゑ(1902〜97年)が「大地のえくぼ」と呼び、亡くなるまでの60年余をそのほとりで暮らした牛久沼。作家の誕生日の1月7日、茨城県牛久市の住井すゑ文学館で生誕120年イベントが行われました。同館は、遺族から書斎や住宅などを寄贈された市が、昨年11月に開館したもの。愛用の机や万年筆、辞書、自筆原稿に日記、手帳、蔵書約3400冊を展示しています。作家と長年にわたって親交があったという日本共産党の利根川英雄・牛久市議は、旧宅だった文学館に来ると涙が出ると言います。「40年以上前、『赤旗』日刊紙を配達に来たのが最初です。『赤旗』を読まなきゃ真実はわからないよ、とよく言われました。入り口には共産党の掲示板があって、選挙の時は応援演説をしてくれて。お宅の庭の桜の下で後援会の花見をしてね。来る者は拒まずという人でした」。イベントでは、記録映画「住井すゑ 百歳の人間宣言」が上映され、人権、平等、平和について縦横に語る姿がありました。「生まれながらに尊い身分があるから、生まれながらに卑しい身分がある」「神武天皇・皇紀二千何百年、全部うそ」。学生時代、夢中で読んだ『橋のない川』苛烈な差別と貧困が描かれながら、明るさに励まされたのは、希望をもってたたかう人々の向日性によるものでしょう。今年、読み返したい作品です。」(17日付しんぶん赤旗「潮流」より)私の家にも「橋のない川」の本があり、多分父親が買って来たのでしょう。当時、小学生だったので「橋のない川」とは変な場所だなと思っていました。さて、昨日(16日)は、京都劇場まで「前進座創立90周年記念・京都新春特別公演」「1万石の恋」を観劇して来ました。私自身が観劇するのは初めてですが、嫁さんは義母と2度ばかり行ったそうです。本当はあまり乗り気ではなかったのですが、チケットを買っていたので仕方なく参加しました。生の劇を見るのは久しぶりで自然と引き込まれて行きました。観劇にあと昼食に「ポルタ」に行き、嫁さんは買い物に夢中?になり、その後喫茶店で一休みしました。「オミクロン株」が流行っているので、人混みは避け、午後3時45分の新快速に乗り、午後4時27分には安曇川に戻って来ました。「写真は、前進座「一万石の恋」のアンコールでの挨拶と、リーフレットです」
今晩から大雪の予報です。
2022/01/13
「わがまち ふるさと」「和歌山県・紀の川市」「2005年に5町が合併した紀の川市には、各地域にそれぞれの良さがあります。打田(うちた)町には、パラグライダーが楽しめるスポットがあり、天気の良い日にはたくさんの人が空の旅を楽しんでいます。粉河(こかわ)町には、西国3番札所の粉河寺があり、参拝される方も少なくありません。那賀町は、華岡青州ゆかりの地ということもあり、道の駅を兼ねた青州の里という施設があります。桃山町は、春には桃源郷といわれるほど桃の花が咲き、町一面がピンク色に染まります。そして夏には「あらかわの桃」という紀の川市自慢の桃を買い求める人でいっぱいになります。貴志川町は、イチゴ狩りができることで観光名所として盛んでしたが、数年前から「たま駅長」という名物ネコの駅長を見に来る観光客が訪れていました。今では2代目たま駅長が盛り上げるためがんばっています。まだまだ知っていただきたい良さがたくさんあります。コロナが収束に向かえば、気分転換も兼ねて一度足を運んでみてください。四季折々の楽しみ方ができるところです。(中村真紀市議)」(13日付しんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)紀の川市という名前は聞いたことがあるのですが、どこにあるかは詳しく知りませんでした。粉河町と貴志川町には行ったことがあり、ようやく位置関係がつかめました。さて、安曇川町では大雪が解けて、屋根以外は地面が見えました。しかし、また今晩から大雪になると予報が出ていて、明日は一日雪になるそうです。「もう、雪はいらないわ!」との声が聞こえて来て、今回はどうなるか不安でもあります。「写真は、2日の「マキノ町・道の駅「追坂峠」」の景色ですが、雪で埋もれていました」
今日は成人の日です。
2022/01/10
「全国大学ラグビー」「ラグビーの弟58回全国大学選手権は9日、東京・国立競技場で決勝が行われ、関東対抗戦覇者の帝京大が同3位の明大を27−14で下し、4大会ぶり10度目の優勝を遂げました。2018年1月に9連覇を果たして以来の大学日本一。明大の3大会ぶりの制覇はなりませんでした。帝京大は前半、攻守に圧倒して4トライを奪い、20−0で折り返し。後半も反撃をかわしました。WTB白国は計3トライ。明大は相手の鋭い出足に攻撃を阻まれFW戦でも劣勢となり、2トライにとどまりました。」(10日付しんぶん赤旗「スポーツ」欄より)この試合はあまり興味がなかったのですが、それでも試合開始から終了まで見ました。帝京大が前半に早々と4トライを取り、試合の流れを取りました。後半も、帝京大の防御が早く、明大が思うように試合運びが出来ませんでした。それに加え、FW戦でも劣勢に立たされ反則を繰り返しました。終わってみれば帝京大の圧勝で、明大は2トライ返すのがやっとでした。この試合を最後に帝京大の岩出監督が退任するそうですが、長年の監督生活、お疲れさまでした。終わってみれば着く思うのは、ベスト4での帝京大ー京産大の試合で、あと一息まで帝京大を追いつめました。京産大に「あっぱれ」を差し上げたいと思います。さて、今日は成人の日ですが、大方は昨日に式典が行われました。高島市でも2カ所の会場で行われ、会場外で嫁さんもビラ配りに参加したようです。またふたたび「コロナ」が流行し出して、この先がどうなるのか思いやられます。「写真は、八田川の堤防で雪遊びをする孫たちです」
雪も大方解けました。
2022/01/07
「試写室」「新春特別ドラマ 優しい音楽 東京系午後7時55分〜」「若者2人の偶然の出会いがそれぞれの心にしまってあった過去から新たに踏み出していく。愛と絆という言葉が似あう物語です。原作は瀬尾まいこの短編「優しい音楽」岡田惠和が脚色し若松節朗が監督を務めました。主人公の大学生・鈴木千波(土屋太鳳)は、鎌倉・江ノ電のホームで永居タケル(永山絢斗)に目を奪われます。心あたりがないタケルは戸惑いながらもそんな千波に一目ぼれ。木賃アパートで1人暮らし、存在証明といえば作業員として働く造船所の通行証しかない。そんな彼に人を好きになる喜びができます。ところが、交際をスタートしたものの千波は心を開いてくれないような態度でした。何不自由なく育ってきた大学生の千波とブルーカラー労働者のタケル。境遇が違うとあきらめるべきか。いやいや、愛と絆の物語ですから印象的な仕掛けが・・・。この作品で、”優しい音楽”に触れてみるのもいいでしょう。豪華な俳優陣も物語を盛り上げます。大学教授で千波の父・雅志を仲村トオル、母・桂子を安田成美、タケシが働く小さな造船所の社長・広木克彦を佐藤浩市が演じます。(小川浩)」(7日付けしんぶん赤旗「社会・総合」のページより)最近は、人を感動させる作品が少なくなりテレビを見なくなりました。今回の作品はどうなのか、期待を込めて見たいと思います。さて、年末に降った大雪は徐々に解けて、地面が顔を出すようになりました。それでも、屋根にはまだまだ残っていて、完全に無くなるまでは3〜4日はかかりそうです。「写真は、自宅近くの八田川の堤防で雪遊びを楽しむ孫たちです」
明けましておめでとうございます。
2022/01/04
今年も、長女の帰省が叶わず、夫婦と母の3人で新年を迎える事になりました。1日(土)はゆっくりと寝て、起きたのは午前10時になっていましたが、遅い朝食(おせち)と雑煮を頂きました。いつも通りにお酒はなく、ノンアルコールビールで乾杯し、正月を祝いました。この日はテレビの守をしながら一日過ごしました。2日(日)は気晴らしに敦賀市までドライブをし、いつもの「鞠山・海釣り公園」に立ち寄りました。もう少し釣り人が多いのかと思っていましたが、意外と少ないので驚きました。ほとんど釣果がないなかで、「おこぜ」が釣れたと騒いでいる老夫婦を見かけました。「おこぜってこんな色やったかな?」「あれはあんこうではないのか?」などと私たち夫婦で話していました。昼食兼夕食を市内の「はま寿司」へ行きましたが、すごい混雑で30分は待ちました。帰路には「マキノ高原温泉・さらさ」に立ち寄りました。ここも暮れの大雪でスキー客で混雑し、駐車するのも大変でした。恒例の抽選会があり、挑戦しましたが、残念ながら外れでした。3日(月)は、長男と孫が朝からやって来て、堤防を利用して「そり」を楽しみました。草津市から見ると奇跡的な雪の量で、何度も何度も「そり遊び」をしていました。せっかくだからと「かまくらつくり」に挑戦しましたが、こちらは未完成で終わりました。昼食の「すき焼き」を食べて、ふたたび「そり遊び」を楽しんだ後、帰路が渋滞で混雑するからと、午後3時には帰って行きました。その後、高校ラグビーをテレビ観戦しながら過ごしました。夕食は午後6時から、「うどんすき」にして早々と一杯やりました。午後9時にはテレビを消して、「明日から仕事や」と言うことで寝床に入りました。ゆっくりと過ごすことは出来たのですが、これと言って代わり映えのしない正月でした。みなさんは、どのようなお正月を過ごされたでしょうか?今日から、またいつもの生活が戻って来ましたが、この方が落ち着いていて安心です。今年1年、またよろしくお願いいたします。「写真は、2日(日)から「敦賀・鞠山・海釣り公園」で釣りを楽しむ人たちです」
みなさん、良いお年を!
2021/12/31
30日(木)は、今年最後の行事?である大阪・大東市まで先祖のお墓参りに行って来ました。大阪もこの日は寒く、厚着をして行って正解でした。墓参りの後、S先生と昼食を摂る約束をしていて、鴻池新田駅で落ち合いました。まだ秋のお彼岸から3カ月しか経っていないので、そう募る話もありませんが、健康で良かったと思いました。その後、喫茶店で30分ほど過ごした後、駅でお別れしました。帰路に北新地駅で下車し、阪神百貨店で「阪神タイガース」の来年のカレンダーを買い求めました。何か買って帰ろうと地下食料品を見ましたが、想像以上の混雑で諦めました。今夜は大雪の予報もあり、とりあえず京都駅まで戻って来ました。時刻は午後4時45分だったので、ゆっくり飲めると思い、駅と続いている「京都会館」の「がんこ」に行きました。食事を始めて30分ほどで、湖西線が午後5時57分で運転を取りやめると連絡があり、「これは大変だ!と帰路の支度をしました。急いで京都駅に戻ると、列車が入っていて、「湖西線の最終列車になります」のアナウンスが流れていました。午後7時前に安曇川駅に着きましたが、自宅までのタクシーがありません。やむえず友人にお迎えを頼み、なんとかたどり着く事が出来ました。今日は朝から、お店の掃除に徹し、ようやく一段落したので「店長日記」を書いています。現在午後4時10分ですが、今日もまた雪が深々と降っています。このままだと今夜も積もるのではないかと思われます。さて、みなさん、今年一年間ご愛読頂きましてありがとうございます。どうか良い年をお迎え下さい!なお、新年は4日((火)より営業しますので、また見に来ていただくようにお願いします。「写真は、28日に降った雪が大量に残りました」
除雪が追いつきません。
2021/12/29
「あまりにもむごく、つらい体験に、口を閉ざしてきました。ことし長崎原爆の式典に初めて臨み、「平和への誓い」を訴えた岡信子さん。先月、93歳の生涯を閉じました。看護学生だった16歳のときに被爆。大けがを負いながら救護にあたり、そこで目のあたりにした惨状を心の中にしまいこんできました。壮絶な体験を語り始めたのは80歳をすぎた頃から。いまだに被爆者の願いかかなわない世への切実な思いがあったからでしょう。あの日から76年がすぎ、昨年度は9千人近い被爆者が亡くなり、この10年で4割以上も少なくなりました。平均年齢は84歳に迫り、一刻の猶予もないのに、いまもなお放置され続けている人たちがいます。「黒い雨」被爆者の救済をめぐり、国が示した認定の指針案が新たな分断をもちこんでいます。84人の原告全員を被爆者と認めた7月の広島高裁判決は、疾病の有無も問わず幅広い救済を求めました。ところが新指針は、11疾病の発病を要件として広島だけを対象に。これには長崎の原爆被害者から怒りの声があがっています。国の援護区域外で黒い雨や灰を浴びた人は長崎でも多い。それを切り捨てることは被爆地や被害者を分断し、差別につながると。口にできないほどの苦しみを背負い”悪魔の兵器”をなくすため力を尽くしてきたヒロシマ・ナガサキの人びと。終わらないたたかいはいつまで。救済は言うまでもなく、核なき世界の先頭に立つことが、唯一の戦争被爆国のあるべき姿ではないのか。」(29日付しんぶん赤旗「潮流」より)26日〜27日に降った雪は、まだ道路に残り、通行の妨げになっています。あまりの量に除雪が進まず、足腰に痛みが出て来てがっくりとしています。今日も、これから残っている雪との格闘です。明日は、大阪・大東市まで墓参りに出かけて来ようと思います。これで年内の行事が終わり、31日はお店の大掃除が待っています。「写真は、なかなか解けずにいる自宅周辺とお店からの景色です」
26日の夕方に積雪40cmになりました。。
2021/12/26
26日(日)の朝には積雪が40cmになり、ほぼ一日中雪かきに追われました。いつもネタにしている「しんぶん「赤旗」」も自宅に届かず、淋しい思いをしています。これだけの積雪は5年ぶりで、さらに27日(月)はさらに30pは積もり合わせて70pになり、もはや勝手にして下さいと思うようになりました。朝に自宅で車を掘り出す?のに2時間もかかり、お店の駐車場の除雪に4時間もかかりましたが、まだ半分ほど残っています。今日も「しんぶん「赤旗」」が届かず、「お〜い、どうなってんねん」と嫁さんに訊くと、集配場までが行けないとの話です。普通の新聞は届いているので、少し考えが甘いのと違うかなと思いました。これから、残っている除雪を始めますが、たっぷりと午後5時まではかかりそうです。「写真は、27日(月)の自宅周辺の景色ですが、門柱が倒れそうなくらいで積雪は70pになっていました」
新規
修正
Copyright (C) 2006メガネ・補聴器のフクイ. All Rights Reserved.