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初雪の積雪は1cmでした。
2020/12/17

「わがまち ふるさと」「茨城県・日立市」「日の立ち昇るところ領内一」という故事に由来する茨城県日立市は、県北地域に位置し太平洋に面しています。「日立鉱山」から発展した鉱工業都市で、「日立製作所」発祥の地です。魅力は「快水浴場百選」に選ばれた浜辺が3カ所、「1億年前の地層と5億年前の地層が接するのは日本でここだけ」といわれる場所があり、海や山といった自然が豊かです。120本のソメイヨシノが植えられた「平和通り」があり、年に1度、からくり仕掛けの山車(だし)「日立風流物」が公開されます。一方、2013、14年と連続して全国人口減少ワースト2位を記録し、日立グループ会社の売却・リストラが進んでいます。東海第2原発(東海村)から30`圏内に全市が入り、一部は5`圏内に含まれます。加えて直近では、市が県産業廃棄物最終処分場の候補地となり、計画撤回に向けて署名活動など住民運動が立ち上がりました。「私たちは表立って活動できない。だから声を上げてくれる人がいてありがたい」と願いが託されています。工場や事業所の前で宣伝やビラまきをしていると、工場を出入りする人に接します。働く人たちと一緒に、住みよい街づくりをめざします。(千葉達夫市議)」(17日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)日立市は企業城下町なので、人口が減少しているなんて信じられませんでした。この話で、企業の身勝手さが浮かんで来ますね。さて、連日天気予報で「大雪になる」と驚かされて?いたので、心配しましたが16日(水)の朝は、積雪1cmでした。明けて17日(木)は、積雪10cmとなり、今年初めて「雪かき」をしました。(写真は、車の屋根に積もった雪と、赤と白のコントラストが綺麗な万両の実と、田中地区の雪景色です)


明日は大雪の予報です。
2020/12/14

「米国を定義する言葉は何か?それは「可能性」。ここではすべての人に夢を実現するチャンスが与えられるべきだー。大統領選の勝利演説でこう語ったバイデン次期大統領。直面する課題は経済格差の是正です。その手段の一つとして期待が高まるのが、学生ローンの返済軽減措置です。上院民主党のシューマー院内総務と進歩派議員は共同論評を出し、学生ローンの大幅帳消しを提言。就任初日に大統領令を出して「債務の時限爆弾」から国民を解放するよう促しました。中西部シカゴにある大学を取材で訪れたことがあります。ひときわ目立ったのは銀行が構内に設けた融資相談窓口。学費が高い米国で学生ローンが日常生活に溶け込んでいる様子がうかがえました。米国全体の学生ローン残高は約167兆円。約4400万人にのしかかります。多額の借金を抱えて社会に出る学生たち。就職難や失業がきっかけで返済に行き詰まり、人生設計が狂う人が後を絶ちません。一部でも軽減すれば多くの人が手取り収入を増やし、起業できる人も現れ、格差の縮小につながるー。シューマー氏らは学生ローンの重圧を取り除くことこそが「最も効果的な経済刺激策だ」と強調しました。学生ローンは、自らの学びを社会に還元し夢をかなえようと努力する人たちの「可能性」を奪ってきました。学生ローン帳消しを求める進歩派の支援も受けて史上最高の票を得たバイデン氏。貧困や格差の解消を一票に託した有権者にどうこたえるかが問われます。」(13日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私たちの時代は、お金がなければ大学進学は叶わぬ夢でした。そう言う私もそうですが、家が貧乏で進学を諦めました。でも今では、奨学金と言う名のもとに、4〜500万の借り入れは普通で、中には800万を超える借り入れがある卒業生もいるそうです。さて、天気予報で急に「雪だるま」が出て、しかも大雪になるとか。大慌てで車のタイヤを交換し、長ぐつを出し、スコップを準備し、手袋も用意しました。これで準備は万端ですが、こんな時に限って肩すかしをくらうものです。(写真は、安曇川町・田中地区にある「ガーデンタウン」ですが都会から移住された方が住んでおられます)

コロナが収まりそうにありません。
2020/12/11

「「読者の文芸」この1年」「たむらあきこ」「川柳 コロナを乗り越える」「今年はコロナ禍に世界中が暗く覆われた。家の中で”自粛”せざるを得なかった人々から、その状況下の生活実感が寄せられた。「ささやかな兵糧(ひょうりょう)背負い妻帰宅」中野 林/不要不急の外出を控えてのまとめ買いだろう。「兵糧」で状況を戦時にたとえている。「なんとなくしょぼんとしている豪華船」田尾 八女/クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内で新型コロナウィルスの集団感染。豪華船も心もち元気がないように見える。「ニューファッション色柄あまた布マスク」翠みち子/もちろんコロナ禍に笑ってなどいられない。しかし、そういう状況だからこそ、せめてマスクのおしゃれくらいはしょうと。「3密にどうしてもなるウサギ小屋」桑山俊昭/我われの住宅事情からすると、家庭で3密を避けることはむずかしい。ウサギ小屋の暗喩、庶民のどうしようもない現実。「人の目が監視カメラになっている」和泉まさ江/感染拡大防止のため、飲食店などに時短営業が要請された。そこへ、貼り紙などで営業自粛を強要する「自粛警察」と呼ばれる人たちが出てきた。「ウィルスに暮らしが支配されている」大和峯二/作者も、3密の回避や新しい生活様式の奨(すす)めなどの提言に従っているのだろう。「ゴミ出しもしてこそ物言える自粛」石渡貴久/みんなが家にいることで煮詰まってくる。そこにはちょっとした心遣いがあるといさかいも回避できる。「コロナ後に手をつなぐ世界期待する」堀西和子/歴史的に、災厄は人々の考え方や行動様式を変えるきっかけになった。今回も世の中の変革や進歩につなげたい、と作者。以上、句はコロナ関連に絞った。酷(むご)い状況を、手を携えて乗り越えていきたい。」(11日付けしんぶん赤旗「文化」欄より)コロナの感染拡大は、簡単に収まりそうにありませんが、この先私たちに何が出来るでしょうか?結局は「ワクチン」が出来るまでは我慢比べになっているようです。ただ、「GoTo」トラベル・イートは直ぐにでも中止すべきだと思います。拡大が収まれば、再び再開してもいいですが、今は止める勇気が必要ですね。(写真は、我が家の庭?に実を付けた「万両」の木です)

安曇川で建物火災がありました。
2020/12/08

「ナチ党が共産主義者を攻撃したとき、私は多少不安だったが何もしなかった。学校が、新聞が、ユダヤ人が攻撃されたとき、ずっと不安だったがまだ何もしなかった。ついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した−しかし、それは遅すぎた。ナチスに弾圧され、強制収容所に入れられたマルティン・ニーメラー牧師の警句です。その言葉は米国記者ミルトン・マイヤーの著書『彼らは自由だと思っていた』の中で、ある学者が紹介しています。著書はナチズムに共感したドイツ庶民の思想や行動を迫ったもの。牧師の戒めを引用した学者自身も、すべてが起こってしまってから「発端に抵抗せよ」「終末を考慮せよ」といいう一対の格言を何度も考えたと悔やんでいます。彼らの教訓が時空をこえ、いまの日本によみがえっています。菅首相による学術会議への介入。学問や研究の自由が奪われ、戦争と一体化されていった過去の痛恨を思い起こされるからです。日本野鳥の会の会長は本紙日曜版で牧師の警鐘をあげ、ひとごとではないと。「ここできちんと抗議しないと将来に禍根を残す」。同じ思いは、さまざまな学会や学生、市民にひろがり、任命拒否の撤回を求めています。この問題を会見で問われた首相が浮かべた薄笑い。あれは何を意味するのか。日本が太平洋に戦端を開き、破滅へと向かった日に改めて考えたい。権力が批判や反対を封じ込める動きを強めたそのとき、歴史が突きつけてきたことを。あなたなら、どうしますか。」(8日付けしんぶん赤旗「潮流」より)この任命拒否は、菅首相のおごりがあり、こんなに大きな反対の声が生まれるとは想像出来なかったのでしょう。これが政権運営をあやうくする原因になるかもしれませんね。さて、昨日(7日)の午前8時36分、防災無線が「安曇川町・四津川地区で建物火が災発生しました。消防団は出動して下さい。」と放送されました。この際、野次馬の根性が湧いてきて現地に向かいました。こんなに間地かで火災を見るのは安曇川に来て初めての事です。しかし、消防車の出動数が少なく、1〜2台しかありません。ほとんどなるがままの状態ですので、気の毒なほどでした。消防団(自警団)は、なかなかなり手がなく、しかも平日のこの時間は会社に出勤した後なので、人員が集まりません。帰宅してからの、嫁さんからの情報では、人的被害はなく、出火原因はホームコタツだそうですが、そんな物から出火したのが不思議です。(写真は、四津川地区(旧藤江地区)の建物火災の状況です)

大阪は厳しくなりましたね。
2020/12/05

「ほっと」「とまれ、動くな毛虫」「この年になっても、初めて見る物が多い。11月中旬、庭のゼラニウムを日当たりのよい2階の物干しに移動した。すると、一つの茎に長さ6a、太さ8_ほどの真っ黒のふわふわした毛をまとった、大きな毛虫がいた。まるで細いわたしのように、みっちり毛が生えている。愛嬌(あいきょう)があるので、そのままほっといた。あくる日見ると、毛虫はいなくなっており、葉が2、3枚かじられた形跡のみ。次の夜、畳の上を真っ黒な毛虫が猛スピードで一直線に走っている。毛虫とは思えない速さなので、「とまれ、動くな」と大声で言うと、ピタッと止まった。夫を呼び、毛虫を新聞で包み、闇の庭に放してもらった。次の朝、パソコンで調べると、ヒトリガの幼虫のこと。敵を感知した時は死んだふりをするらしい。私の大声で止まったのは、天敵から身を守る行動だった。真っ黒けのふわふわで、かわいい毛虫の訪れだった。原因は、干していた布団に、庭木から飛び移ったことかなあ。(京都市右京区 藤原美恵子 69歳)」この方は女性なのに、なかなか勇気のある行動ですね。そう言えば、安曇川町は都会に比べ自然が豊富で、思わぬ事に出会います。2〜3日前には「雪虫」が低く飛んでいるのを見かけました。「そろそろ、雪に備えろよ」と言われたようで、冬タイヤの交換する日が近づいて来ているようです。さて、大阪では「緊急事態宣言」が出され、不要不急の外出を控えるようにと知事が語っていました。正月前に大阪に墓参りに行くのが恒例ですが、今年はどうするかなと思案中です。(写真は、昨年12月5日に訪れた「鞠山・海釣り公園」です)

静かな12月が始まりました。
2020/12/02

「優しい響きを感じます。「こもりびと」という言葉。ひきこもりのことを指します。神奈川県大和市が温かみのある呼び方をと名付けました。今や100万人を超えていると調査結果が出ています。中でも増えているのは中高年のひここもり。61万人を数えます。80代の親とともに50代の子が孤立していく「8050(はちまる・ごーまる)問題」が起きています。NHKが”こもりびと”と銘打って、ひきこもりを考える企画を展開しました。中高年のひきこもりと切り離せないのは労働環境です。非正規の不安定雇用や失業、激しい競争、パワハラ。尊厳を傷つけるような実態がひきこもりの要因になっています。動けなくなり、部屋や家から出られなくなる。そんな状態が数年から30年、40年と続きます。「ひきこもり死」という深刻な事態も生じています。親が施設に入所したり、亡くなるなどして、独りぼっちになり生きる気力を失い、食べることもなく衰弱して死に至るのです。全国の自治体によると、「ひきこもり死」の危険があると推定されるのは300件以上となっています。自ら自治体に相談に来たのは15・6%、支援を断った例が72%という調査も。働いてない負い目を感じているからです。家族や行政が差し伸べられる手はー。「おはよう」「ただいま」と日常で掛ける一言の大切さ。家や職場ではない、もう一つの居場所の確保も訴えられています。そして何より求められるのは、”自分を責めなくていい”社会の実現です。」(2日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私もNHKの番組を見ましたが、かなり深刻なケースがありました。働かない=怠慢のイメージでしたが、事態はもっと複雑で簡単には解決にならない事が分りました。さて12月に入り、商店街で「歳末売り出し」を始めましたが、人通りも少なく静かに時間が過ぎて行きます。コロナ禍で「飲食業」はもっと大変だろうなと、想像していますがどこまで持続出来るかを心配しています。(写真は、新旭町にある「かばた館」で食べた「とりっこご膳」1100円と、今津総合運動公園の案内板です)

11月もあと1日で終わりですね。
2020/11/29

「背表紙」「『古代の食生活』・・・”飲ませ食わせの政治”のルーツ?」「中世・室町時代の社会では酒屋が金融業を兼ねることが多く、しばしば一揆の襲撃目標にもなりました。歴史の教科書にも書かれていることですが、なぜ酒屋が金融業と結びつくのかまでの記述は、教科書にはありませんでした。遺構から出土する木簡などから古代の食生活の実態に迫る吉野秋二著『古代の食生活』(吉川弘文館・1700円)は、その起源が古代社会にまでさかのぼるらしいことが浮き彫りにしています。古代の律令社会では、個々人が従事する職種や役の種類によって、役所などが支給する米、飯などの種類と量が細かく決められていました。酒も、一種の特別給として支給されていたらしい。余ったものを外で販売することも認められており、小食や下戸の人も困らなっかったようです。その延長で、農繁期などに富農が飯や酒をふるまって人手を集め、働かせることも盛んでした。酒をふるまう余裕のない貧農などの労働力不足が社会問題化し、朝廷もたびたび禁止令を発しますが、直らなかったようです。こうして酒の供給元に人手も富も集まるならば、酒屋が金融業化するのもうなずけます。酒食で人を動かす古代・中世の手法が、今日の料亭政治や「桜」とどこか似ているのが、現代に生きる者には気になるところです。(清)」もともと、狩猟中心の「縄文時代」に比べ、稲作中心の「弥生時代」になり、豊作・不作で貧富の差が起きたと言われています。狩猟中心の社会では、獲物を公平に分けたため皆平等だった事になります。さて、11月も後1日となり、気持ちだけが慌ただしくなりました。大阪市内でコロナウイルスの感染が拡大していて心配です。ここ安曇川では、「大阪に行くならもう来ない!」「今行ったらあかんで!」とか言われます。「ちょっと待って!700万の人口がある大阪では、ほとんどが普通に暮らしているよ」と答えますがうなずいてもらえません。(写真は、今津総合運動公園の活気がある景色です)

今日は「高島時雨」の空模様です。
2020/11/26

「わがまち ふるさと」「京都府・八幡市」「八幡(やわた)市は京都府南部にあり、大阪府に接しています。町の歴史は古く、日本三大八幡宮の一つ、石清水八幡宮は貞観2(860)年に創建。以来、平安京を守る神社として重視され、門前町として発展しました。2012年に国宝に指定されました。市内には、もみじ寺として知られる善法律寺、飛行神社、松花堂庭園など名所・旧跡も多くあります。木津川、宇治川、桂川が淀川となる合流地点に位置し、背割堤(せわりてい)は延長約1・4`に220本のソメイヨシノが植えられ、毎年春には、桜の名所として花見客でにぎわいます。八幡市は1982年、京都府下で最初に非核平和都市を宣言。毎年8月6日には、市内四つの中学生が、市民から託された「平和の折鶴」を携え「平和大使」として広島平和記念式典に参加しています。そんな非核宣言自治体ですが、残念ながら現市長は、国内では99・5%の自治体が加盟する「平和首長会議」への加盟を拒み続け、京都府下唯一の不参加首長となりました。八幡市の非核平和都市宣言がうたう「非核三原則の完全実施」「核兵器の廃絶と軍備縮小を強く世界の人々に訴える」の精神を生かしてほしい。(中村正公市議)」(26日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)大阪にいたころは、小さいころ(小学校入学前後)には、初詣に出かけた記憶があります。その頃聞いた母の話では「木炭を燃料にしたバスで田辺市に出た」「馬力が無いので、乗客もバスを降りて押した」と話していました。今聞くと、笑い話のようなことですが、本当にあったのでしょうね。さて、日本シリーズは、ソフトバンクの4連勝(巨人の4連敗)で終わってしまいましたが、実力の差が歴然としていて勝負になりませんでした。巨人ファンのお客の一人が、「原監督は首やで!」と厳し答えが返って来ました。(写真は、自宅から眺めた北の空ですが、時雨ているのがわかります)

グランドゴルフは難しいですね。
2020/11/23

「私は在日韓国人として最下層で育ち、日本にも韓国にもどちらにも属せないという立場にあります。ですから一貫して、居場所のない人のために書いていきたいと思っています」。2014年の春、小説『JR上野駅公園口』を出版した柳美里(ゆうみり)さんにインタビューした時、こう切り出されたことを覚えています。痛いみのこもった言葉でした。出稼ぎを繰り返した末にホームレスになった福島出身の男を主人公に、敗戦から原発事故に至る日本社会のゆがみと差別構造を描き切った渾身(こんしん)の作。19日、アメリカで最も権威のある文学賞の一つ、全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞しました。柳さんが本紙文化面に連載エッセー「南相馬 柳美里が出合う」を始めたのは、鎌倉から福島県南相馬市に移住した直後の2015年6月でした。喪失の苦しみのただ中でも、為(な)すべきことを為して生きる被災地の人たちの姿を3年間にわたって伝えてくれました。そんな人たちと共にある暮らしのなかで柳さんは「矛盾をはらむ日々を一つ一つの問題に対処しながら、丹念に生きる貴さを学んだ」と語っていました。作家生活30周年の2016年、出版した小説『ねこのおうち』が南相馬の書店でベストセラーになり、立て看板に「南相馬在住作家の最新作」と書かれた時には、その新しい肩書が誇らしい、と。そして、この地に人々の交流と創造の場を取り戻すため、本屋と劇場をつくりました。確かな居場所を築いた柳さんの希望の物語はここから始まるのでしょう。」(23日付けしんぶん赤旗「潮流」より)私はまだ柳さんの本を読んでいないので、図書館に行って借り(お金がないから)てこようと思います。さて、昨日は「高島市手をつなぐ育成会」主催のグランドゴルフ大会が今津総合運動公園で行われました。ここに来るのは、実に25年ぶりで、うる覚えの感覚でした。障害のある仲間と、保護者でグランドゴルフをしましたが、総じて障害者の方が上手で、保護者の方が下手でした。楽しみのお弁当を食べ、食後の「語る会」で問題点を話し合い充実した一日でした。それでも、今朝起きると足腰が痛み、昨日の過激な?(そんなわけがない)影響だと知らされました。(写真は、今津総合運動公園の景色ですが、想像以上に広く1周は2`bはあります)

過疎化が進む旧朽木村。
2020/11/19

「わがまち ふるさと」「三重県・大紀町」「大紀(たいき)町は三重県中南部に位置し、国道42号沿いの旧大宮町、紀勢町、大内山村が合併して誕生した山、川、海に恵まれた自然豊かな町です。町内を流れる大内山川には天然鮎も遡上(そじょう)し、シーズンには全国から友釣りの愛好者が訪れます。山間部では、生牛として出荷時には有名ブランド「松阪牛」となる「七保牛」を肥育し、大内山酪農で生産される「大内山牛乳」や乳製品は関西・中京圏にも販路を広げています。阿曽・柏崎地区の原木シイタケの栽培、海岸部の錦地区でのアジ、サバ、ブリの沿岸漁業やマダイの養殖など、農林漁業、畜産業が産業の中心となっています。近年は従事者の高齢化や後継者不足などを抱え、今年はコロナ禍で出荷が大きく減退。町当局としてもエサ代補填(ほてん)などの援助策を講じています。大紀町生まれの大瀬東作氏は、大正7(1918)年34歳で当時の七保村長となり、義務教育費の国庫負担実現のため、三重県町村会、全国町村会の創立に尽力し、ついに大正12(1923)年に宿願を実現させました。義務教育の完全無料化はいまだに実現されていませんが、地方自治が狭められている今こそ、力を尽くすことが求められています。(大東政司大紀町町議)」(19日付けしんぶん赤旗「地方・総合のページ」より)大紀町と言えば、今から10年ほど前に、紀伊半島1周のドライブに出かけた時に「道の駅」で休憩したことがあります。小さな町なのに活気があって印象深く残っています。さて、昨日の午後は、旧朽木村・麻生(あそう)区までお客さんを訪問しました。朽木・市場から20分、安曇川から40分もかかります。残念ながら訪れる度に、戸数が減りたった8名しかおられません。見渡せば、紅葉が美しく、川のせせらぎが聞こえて来て、思わず「住んでみたいな!」と言いましたら、「雪が毎年1bは積もるよ」との言葉に絶句しました。参考までに、朽木村の人口は2600人から1600人まで減少しました。(写真は、足立美術館の追加の写真です)

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